『アルトとソフィア』

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 暗い部屋の中、10歳くらいの小柄な少女はベッドに横たわりながらベッドを涙でぬらしていた。その瞳は蒼く、また腰ほどまである髪も綺麗な蒼だった。
「泣かないでよ、ソフィア」
 10代半ばくらいの少年アルトは部屋の明かりをつけ、ベッドに横たわり泣いているソフィアの頭を撫でながらなだめる。その少年もまた蒼い瞳と蒼い髪をしていた。
「だって、スペースデブリのせいで操縦が利かなくなっちゃうし、通信装置だって……」
 ソフィアはアルトのほうに顔を上げず涙声で答えた。
 時は23世紀。人口の増加、環境汚染、温暖化などの様々な要因により地球での暮らしが困難になってきた人類は様々な星に移民し、スペースコロニーで暮らしている。
 アルトとソフィアの兄妹もスペースコロニーの1つ、シリウスで暮らしていた。
 そんなある日のこと。アルトとソフィアは両親の結婚記念日の祝いにスペースコロニーアクアにある幸福の証と呼ばれているアズライトという輝石をプレゼントするため、小型宇宙船でアクアに向かった。しかしその途中、スペースデブリとの衝突により操縦不能、通信不能に陥り宇宙を彷徨っていたのだった。
「大丈夫だよ、ソフィア。きっと助かる。僕を信じて」
 アルトの優しい声、頭を撫でる優しい手。その声、その手を感じるとソフィアは落ちついてきた。ベッドに伏せていた顔を上げるとそこには優しく微笑むアルトの顔がある。その顔はいつも自分を助けてくれる優しい兄の顔だった。
(……大丈夫。私にはお兄ちゃんが一緒なんだから)
 ソフィアは顔だけでなく体も起き上がり、ベッドの上に座った。
「どう? 少しは落ち着いた?」
「うん、落ち着いた。ありがとう、お兄ちゃん」
 ソフィアは涙を拭き、笑顔で答えた。その笑顔をもらいアルトも自然に微笑んだ。
「それじゃあ、ご飯にしよう。泣き疲れてお腹もすいただろうし、ね?」
 二人はソフィアの部屋を出て、すぐ横にある部屋へ移り食事にした。


「本当に助かりました。ありがとうございます」
 食事を終えてから数時間後、近くを通る宇宙船に気がついたアルトはすぐさま宇宙服に着替え、宇宙へと飛び出して呼び止めることに成功した。今はその宇宙船にアルトたちが乗っていた小型宇宙船ごと回収され、その1室で船長と対面している。
「気にしなくていいさ、困った時はお互い様だ。オレはこの宇宙船アイシアの船長グレコ・ランクーガだ」
 帽子を取って挨拶するグレコはスキンヘッドに大柄で褐色の肌をしたどこか愛嬌のある顔の30代後半の男だ。挨拶には挨拶を、アルトも自己紹介をした。
「僕の名前はアルト・シンフォニーです。この子は僕の妹でソフィアといいます」
 ソフィアはアルトの後ろから恥ずかしそうに顔を出し会釈をした。
「すみません、ソフィアは人見知りで」
「がっはっはっ、可愛らしい妹さんだな。それにしても、シンフォニー……」
 グレコは2人を上から下へ下から上へとまじまじと見る。それを怖がったソフィアはさらにアルトの背中に顔を埋めて隠れ、そんなソフィアにアルトは苦笑いを浮かべた。
「もしかしてシリウスのソルト・シンフォニーの子供か?」
「はい、ソルト・シンフォニーは僕たちの父親です。ご存知なんですか?」
「まあな、昔からの友人だ。そうか、ソルトの子供か。通りで似ていると思ったわけだ」
 偶然とはあるものだ、とグレコは大きな声で笑い、ソフィアはビクッとした。
「ところでどこへ向かう途中だったんだ?」
「僕たちはアクアに向かう途中だったんです。もうすぐ父さんと母さんの結婚記念日でその祝いにアズライトを手に入れようとしていたんですよ」
 それを聞いてグレコは少し考え、それを声にした。
「よし、じゃあこれからアクアに向かうことにしよう。それまでに君たちの宇宙船はこっちで修理する。帰りは2人で帰れるかい?」
「もちろんです。ありがとうございます」
 アルトは深く頭を下げた。ソフィアはそんなアルトを真似て頭を深く下げた。
「何、ソルトには色々と世話になった。だから、気にするな」
 そう言いグレコは大笑いする。その笑いにソフィアはまたビクッとした。
「でも、この船って惑星開拓用船ですよね? どこかに向かっていたのでは?」
「ああっ、そうなんだが今回は急ぎの調査じゃないんだ。だから気にしなくてもいい。まあ、二人の部屋はすぐに用意させるからアクアに着くまでのんびりしていてくれ」
「はい、そうさせていただきます。だそうだよ、ソフィア。もう安心だね」
 そう告げるアルトの顔を見て、ホッとしたソフィアは、
「あの、ありがとう、ございます」
 と、恥ずかしそうにアルトの影から顔を出し、ぺこりと頭を下げた。
「がっはっはっ、いいってことさ、ソフィアちゃん」
 それから2人はそれぞれの部屋へ案内されたが、ソフィアは怖くて眠れないとアルトの部屋を訪れ、2人一緒に寄り添って眠った。


「おはようございます、グレコさん」
 朝早く館内を歩いていたグレコは館内掃除をしていたアルトにばったりと会った。
「おはよう、アルト。ところで、なぜ掃除をしているんだ?」
 首を傾げるグレコにアルトは笑顔で答えた。
「ただで乗せてもらうわけにはいかないので清掃班の人に手伝いをさせてもらっていました。どうです、制服も借りたんですが似合いますか?」
 アルトはその場でターンをして制服姿をアピールした。
「似合わないな。いや、そうじゃなくてアルトとソフィアは客人として扱っているんだ。そんな気を回さずにのんびりしていればいいさ。それにソフィアは君がかまってくれないと泣いてしまうかもしれないぞ。ほら、そのモップと清掃着を返してソフィアのところに行くんだ」
「そうですか? ……では、お言葉に甘えさせていただきます」
 アルトは少し残念そうにしながら清掃室へ歩いていこうとしたその時、宇宙船が大きな揺れに襲われた。
「なんだ、この揺れは?」
 グレコは操縦室へと急ぎ、アルトもその後を追った。


「一体どうした?」
 操縦室にやってきたグレコは船員へと聞いた。
「はい、巡回船を横付けさせました。なんでもスペンシアからの脱獄者がこの近辺に逃走したとのことで、船内を念のため調べさせてほしいとのことだったので了解をしました」
 船員は椅子ごとグレコのほうに向き直り答えた。
 スペンシアとは、犯罪者を収容するコロニーの1つである。犯罪者は犯罪のランクごとに別れて各コロニーへと収容されていた。
「そうか、スペンシアから脱獄者が出たか。まあ、あそこはたいした犯罪者を収容しているわけじゃないから、油断したんだろう。だが、最近物騒になってきたからそういうことはなくして欲しいものだな」
 グレコはやれやれといった感じだった。
「それと乗組員は1つのところに集めておけとのことです」
「わかった、全乗組員を操縦室に集めてくれ」
「了解」
 船員は全乗組員を操縦室に集まるように船内放送を流した。それからしばらくしてソフィアを除く全乗組員が集まった。
(ソフィアはまだ寝ているのかな?)
 アルトはソフィアが心配になって迎えに行こうとし、部屋の自動ドアの前に立つと向こう側に巡回官が5人立っていた。
「どうした?」
「すみません、妹がまだ来ていないので迎えに行こうとしたところです」
 それを聞き、巡回官の口元が少しニヤケ、
「この子か?」
 と、後ろに立っていた他の巡回官に銃器を頭に押し付けられているソフィアを指した。
「! ソフィ――」
 アルトは妹に気を取られ、自分をぶん殴ろうとする拳に気づかず吹っ飛ばされた。
「大丈夫か、アルト! 巡回官、これはどういうことだ!」
 吹っ飛ばされたアルトを起こし、グレコは強い口調で問いただした。
「おや、これはグレコの船だったのか〜」
 巡回官の1人、大柄な男は巡回官帽とサングラスを取って答えた。
「ハルロ? なんで貴様がここにいる! まさか、脱獄者というのは貴様たちのことか?」
「正解だよ、グレコ〜。それと実の兄に向かって貴様はないだろう〜? ふふふ」
 帽子とサングラスをとった男は、グレコと瓜二つの男で起伏のない平坦で不気味な笑い声をあげた。
「いやいや、実はこいつらとスペンシアから脱獄を謀ったんだけどさ〜、その時に脱獄用に巡回船を奪ったわけ。でも、この巡回船と来たらろくに食料や燃料を積んでなくてさ〜、困っていたってわけ、わかる? マジ参るって感じだよね〜、ふふふ」
 ハルロは盗んだ巡回船に文句を言いつつ、それがおかしいのか不気味に笑う。そして、意味もなくその場でターンをしてから決めのポーズをとり、決まったといわんばかりの満足そうな顔をする。外見が30代後半でグレコそっくりなだけあってそれは不気味なものだった。
「だから、この宇宙船をハルロにくれない〜? なあ、いいだろう〜? ほら、よく言うだろ〜? 弟の物は兄の物、兄の物は兄の物〜。まあ、結局全部ハルロの物ってわけさ〜、ふふふ」
「断る! 貴様どれだけランクーガ家や周りの者に迷惑をかけたと思っているんだ! もし、ソルトが止めてくれなかったらどんなことになっていたか――」
 その言葉の中に出た名にハルロは敏感な反応を示すと、顔つきが変わった。
「グレコ! 俺の前で忌々しいその名前を呼ぶな!」
 ハルロはさっきまでの人をおちょくるような態度を一変させて口調が強くなった。
「あいつのせいで俺がどんな目にあったのかわかっているのか! 俺はあいつに復讐するために出てきたんだ!」
「何を言っているんだ、自業自得だろ! 感謝することはあっても、恨む筋合いはないはずだ!」
 グレコの言葉を聞き、さらに怒りを高めるハルロの目にグレコの側に立つアルトが目に入った。そして、口元を少しゆるめ、アルトに話しかけた。
「おい、グレコの隣のガキ。お前、名前を言ってみろ」
「……アルト・シンフォニーです」
「やっぱり、そうか。ちょっとこっちに来いよ。言わなくてもわかるだろうが、変な気を起こすとお前の妹がどうなっても知らないぞ?」
 ハルロの後ろで男に銃器を突きつけられているソフィアを一瞥してからアルトは何の抵抗も見せず、ハルロの前に立った。
「見れば見るほどあいつにそっくりだ。本当にムカつくほどに、な!」
 ハルロは右拳でアルトの頬を叩いた。よろめくアルトの胸元を掴むとさらに殴り続けた。
「! お兄ちゃん!」
 銃器を押し付けられていることを忘れ、ソフィアは殴られ続ける兄を呼ぶ。
「やめて、お兄ちゃんを殴らないで!」
 そう叫び腕の中で暴れるソフィアにいらつきを覚えたハルロの仲間は、
「少し黙れ!」
 と、怒鳴りつけたがソフィアの耳に入らないのか叫び暴れることをやめようとしない。
「このガキが!」
 銃器で殴られたソフィアは短い悲鳴をあげ意識を失った。
「おい、その娘はあいつへの人質になるんだ! あまり手荒な真似して殺すなよ!」
 ハルロは殴るのを一時やめ、ソフィアを気絶させた仲間へと注意を促す。
 そして、再びアルトを殴ろうと振り返った時ハルロはそこに昔感じた恐怖を覚えた。
 短い悲鳴をあげ、ハルロは掴んでいた手を放し、後退して距離をとった。
「どうしたんですか、もう終わりですか?」
 それはいつもの優しいアルトの声ではなかった。
「妹に手をあげないでください。まあ、今は助かりました。正直どうしようかと思っていたんですよ。妹には僕が人と争う姿を見せたくなかったのでね。きっと僕を怖がってもう顔もあわせてくれないんじゃないかと思うんですよ。それだけは避けたいのです。でも、これで心置きなく動けるというものです」
 そう言って右手に握り締めていたモップを右下に構え、
「では――」
 アルトは一瞬にしてハルロとの間合いをつめた。それに反応して拳を出したハルロを軸に回転し、ハルロの後頭部へ強烈な一撃を与えた。そのまま意識を飛ばし崩れ落ちるハルロを残して、後方にいる4人へと詰め寄った。最初にソフィアを気絶させた男の側頭部へ一撃、そのまま反転して側にいた男の脇腹へ一撃を入れた。何が起きたかよくわからないまま立ち竦んでいる残りの2人にアルトはその動きを止めることなく詰め寄り、一人に喉仏への突きをし、最後の1人にその返しで下から上へとすくい上げる一撃をアゴへと喰らわした。
 目の前で起きたまさに一瞬の出来事にグレコたちは呆気にとられていた。そこに今も唯一立つアルトは先程までと違い、他を圧倒する迫力と存在感を作り出している。グレコにはその姿が若き日のソルト・シンフォニーに重なって見えた。


「……ん、お兄ちゃん?」
「おはよう、ソフィア」
 目覚めたソフィアが目にしたのは優しく微笑む兄の顔。そして、自分の手を優しく包む兄の手の感触。自分がベッドで横になっていることに気がつき、さっきのは夢だったのかと思いホッとする。しかし、ぼやけていた視界がはっきりすると兄の顔は少し腫れ上がり、自分の頭が痛むのを感じた。
「あっ! お兄ちゃん! 大丈夫? 顔痛くない? あの人たちは? 私たちどうなっちゃうの?」
 意識がはっきりしたソフィアはさっきまでのことが現実だと認識し、混乱しながら一気に溢れてきた恐怖を言葉にした。
「大丈夫だよ、ソフィア。さっきの人たちは本物の巡回船が引き取って連れて行ったよ。だから、落ち着いて」
 アルトは混乱して興奮するソフィアを落ち着かせるように優しく抱きしめ頭をなでながらそう伝えた。ソフィアはそんなアルトの言葉と温もりを感じ、だんだんと心が落ち着いてくるのを感じていた。
「……うん、落ち着いてきた」
「そう、よかった。もうすぐアクアに着くよ。そしたら、アズライトを探しに行こうね。きっと父さんも母さんも喜んでくれるよ」
「うん!」
 それから1時間もしないうちに宇宙船はアクアに到着した。アルトとソフィアはグレコたちと別れ、無事アズライトを手に入れた。そして、グレコたちに直してもらった小型宇宙船に乗り、きっと喜んでくれるだろう両親の顔を思い浮かべながらシリウスへと帰っていった。
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