『顔のない悪魔』

目次に戻る | トップに戻る
 夜。
 太陽が沈み、暗い闇がやってくる時間。
 その闇の中に2つの影があった。
「た、ス、け、て」
 その言葉と裏腹に現われた悪魔は素早く伸ばした手で少女の腕を掴み、裂き千切ろうとする。
「っう!」
 その握力からくる痛みに顔を歪ませながらも、少女は体間狭い中、腹部へ前蹴りして距離を開き、次いで悪魔の顎を蹴り上げる。
 悪魔の手は離れ、蹴り上げた反動を生かして、少女は後方へ宙返りを決めて距離をとり、
「かさね!」
 空に向かい、友を呼ぶ声を張り上げる。
 空。
 闇夜を照らす月と星がいる。
 その月の中、斑点のような黒い影が1つ、大きくなって舞い降りた。
 気合の入った一声と共に。
「はぁあああっ!」
 気合一閃。残光の軌跡を描きながら少女は刀を打ち下ろす。
 だが、その初太刀は紙一重で避けられた。
 けれど、
「はっ! ふっ! たぁあああ!」
 着地と同時に放たれた流れるような三撃を悪魔は身に刻まれ、塵となって消えていった。
 その姿を背に刀を一払いして鞘へ納めたかさねは、少女へと声を掛ける。
「大丈夫ですか?」
 心配するその声に、少女はビッと親指を立て、
「私は、大丈夫だ。感謝する」
 夜も照らすほどの笑顔で答えた。


 チャイムは始まりと終わりを告げる。
 そして、今鳴ったのは終わりのチャイム。
 本日最後の授業を終え、セシルは席を立つと足早に後ろのドアから出て行こうとした。
「待って、セシル」
 後ろから呼びかけられたセシルは呼ばれた原因を理解しながら、長い金髪を揺らして振り返ると、
「今日はセシルが掃除当番の日だから、まだ帰っちゃだめよ」
 帰ろうとするセシルを止めるリナが立っていた。
 そんなリナに対して、申し訳なさそうに、そして真剣な顔を向けて言う。
「すまない、リナ。けれど、今日だけは見逃してくれ」
「何? 何か急用でも?」
 これでもかというセシルの真剣な顔にリナは何か大変なことがあったのかと心配そうに尋ねた。
「うむ。今日は『魔法少女アリス』がついに我が国で放送開始される記念すべき日。予約録画もしているが、やはりリアルタイムで見たいと思ってな。すまん、リナ。今日は見逃してくれ」
 そんなセシルの言葉に、
「もうセシルったら、本当にアニメが好きなのね。わかったわ。けれど、明日の掃除当番代わってね」
 リナは笑顔で了承した。
「おおっ、感謝する」
 笑顔返しで礼を言い、セシルは教室を後にして、それをリナは小さく手を振って見送る。
「あれ、セシル帰っちゃったの? 掃除当番よ、セシルは」
 クラスメイトが教室を出ていくセシルを見ながら、見送るリナへと話しかける。
「ええ。でも今日は大切な用事があるからって掃除当番を代わったの」
「はぁ、まったくセシルは。けど、あの必要以上に真剣な眼差しでのお願いと、その後に待っている必殺笑顔には勝てないわよね」
「ふふふ、そうね。あの笑顔には勝てないわ」


 教室に残ったリナたちにそんなことを言われているとは露知らず、セシルは家路を急いでいた。
 その顔は正に真剣の一言に尽きる。
 そこに『魔法少女アリス』への想いの強さが分かるといえよう。
「!」
 だが、そんなセシルの足を止める出来事が家まであとわずかの所で起こった。
「セ、制服にカタナ。そして、マフラーだと!?」
 この国では学校指定の制服というものがない。
 なので制服が珍しく、日本アニメで見てからセシルは気に入っていた。
 自ら手作りして着てみるほどに。
 そして、現在のマイブームがそんな制服にマフラーをして刀を持ったカッコいい少女だった。
 そのマイブームを絵に描いたような少女が眼の前にいる。
 セシルの頭の中はその少女で一杯になり、バックの中からデジカメを取り出して、その少女の元へと急いだ。
「そこの君、待ってくれ!」
 その声に振り向いた少女は迫ってくるセシルを見て、訝しげな顔をした。
 それもそうだろう。
 なにやらすごい興奮状態の少女が手にカメラを持ち、走り寄ってくるのだから。
「突然、声を掛けてすまない! 私はセシル・プラージュ! 君は日本人だろ? その制服姿がとても素敵だ! この素敵な出会いの記念に写真を数枚撮らせてくれないだろうか! 是非、是非にだ!」
「……」
「答えに困っているのだな? ああっ、それもそうだろう! 何せ、私たちは今知り合ったばかり! だが、心配しなくてもいい! これから私たちの間にある溝はすぐに埋まっていく! ほら、そこが私の家なんだ! まずは知り合った記念に私の家に招待しよう! 何、気にするな! 私たちは友達だ! 友達の家へ遊びに行くのはごくごく自然なこと! ようこそ、我が家へ!」
「……」
 息継ぎをしないほどの早口の中で一気に友達まで格上げされた少女は、出会っていきなり自宅へと招待するセシルをしばし黙って見つめると、
「……わかりました」
 その招待を受け入れたのだった。


「も、もういいだろうか? ここまで来たら、私たちは親友だ。写真を撮っても構わないか?」
 セシルの部屋に入り、わずか3秒。
 そして、出会ってから20分も経っていないにもかかわらず、セシルの中ではすでに名も知らぬ少女は親友と化していた。
 さらにその親友へまだかまだかとカメラを待機させながら、獲物を狙う獣のような視線を送り続けている。
「……構いません」
 やれやれといった感じで許可の言葉が下りるのとほぼ同時に構えられたカメラを少女は制した。
 その「待て」に逸る気持ちを何とか抑えながら、セシルは従う。
 きっとセシルに尻尾があれば、これでもかというほど高速で振られているだろう。
「その前にあなたに尋ねたいことがあります。撮るのは、それに答えてからで」
「答えればいいのだな? うむ、わかった」
「あなたの周りで変わったことが起きていませんか?」
「……変わった、こと?」
 その言葉を頭に置きながら、セシルは首を傾げる。
 何か変わったことがあっただろうか、と。
「実はこの辺りで『悪魔』の気配があります」
「なっ!?」
 『悪魔』――その意味は様々であり、多くの場面で用いられている。
 セシルの住むエリアで『悪魔』は人を喰らう存在の呼び名とされていた。
 そして、先月も『悪魔』による事件が少し離れたエリアで起きたばかりだった。
「では、その悪魔がこのエリアに来ているというのか?」
「いえ。その悪魔は私が倒しました。その悪魔とは別の悪魔がこのエリア、街にいます」
 それを聞いて、開いた眼をより広げ、
「……君が倒した? その、手に持った刀でか?」
 と、少し震えながらセシルは尋ねた。
「ええ、倒しました。けれど、そんなに怯え――」
「最高だ!」
「――ること……最高?」
 そのセシルの予想とは違う言葉に疑問符を付けて、少女は首を傾げた。
「ああっ、最高だ! 制服にマフラーを纏い、携えた刀を武器に悪魔へ立ち向かう美しい少女! くぅ、私は幸せ者だ! マイブーム! 今の私の中でもっとも燃えるシュチュだ! これはもう、あれだな! 私はそんな事件に巻き込まれた主人公でいいのだな!? だな!? わかった、存分に巻き込んでくれ! 実はこれでも腕に覚えはあるのだよ! ああっ、もちろん、私にできることだったらなんでもするぞ! 住まいはあるのか? なければ、我が家に住むといい! 何、親友が泊まる部屋ぐらいすぐに確保できる! もちろん、押入れなどではないから安心してくれ! そして、まだ話の途中だが、話の感じからすると私の周りで何やら起きているようなので、私からその情報を収集プラス場合によっては囮、他色々の協力を仰ぐ、もしくは強制させるつもりなのだろう! わかった、引き受けよう!」
「あ、ありがとうございます」
 そのセシルの勢い止まらず突き進む暴走車のようなしゃべりに、勢いに飲まれたまま、少女はお礼を言い、
「それでその、私の質問に対する答えを教えて下さると助かるのですが」
 横道に逸れ続けようとしたセシルを止めて、本題へと進めた。
「ああっ、質問にまだ答えていなかったな。すまない、とても興奮してしまった。君があまりにも素敵すぎたものだから、つい。今からは落ち着いて答えることにする。そうだな、私の周りで起きた変化は……クラスメイトの数が減っている気がするな。でも、それもおかしな話なんだが、なぜだか曖昧なのだよ。減っているとは思うのだが、それが誰だったかいまいち分からないのだ。それぐらい、だろうか? これが役立つ情報か分からないが、今パッと思いつくのはそれぐらいだ」
 その話を聞いて、少女は思案気に考え込む素振りを見せる。
 そんな少女の姿があまりにも素敵に見えたセシルは、わなわな震える手を持ち上げ、構えたカメラでシャッターを切ろうとするが、再び少女に手で制され、シュンとなった。
「いいえ、それは悪魔の仕業の可能性があります。悪魔のやり方は悪魔によってそれぞれ違うので。その悪魔の力かもしれません。あなたが曖昧に感じたのは」
「そうなのか?」
「ええ、その可能性はあります。それには状況により、様々な力が作用しているのですが、今は長くなるので省きますね」
「なるほどな。クラスメイトに尋ねても、アニメの見過ぎで現実と空想の境界線が曖昧になっているんじゃないか、と言われてしまうわけだ。納得がいったぞ。危うく自分でもそうなのかと思ってしまうところだった」
 納得して頷くセシルを、少女はなんとも言えない眼で見つめた。
「まあ、それは置いとくとして。私があなたの家の近くにいたのも、あなたの家から悪魔の気配の残滓を感じたからなのです。なので、その家に住むあなたが協力的で助かりました。本来、こう言った要請は面倒なのでどうしようかと考えていたのですよ。最終手段として……まあ、それはいいでしょう。とにかく感謝します」
 少女に深々と頭を下げられ、
「何、心友の頼みだ。無碍には出来まい」
 少女をさらに心友へ格上げしつつ、顔を上げたところをカメラに収めようとしたが、顔を上げる瞬間にフレーム内から姿を消し、少女はセシルの横に座っていた。
「……質問に答えたのだが」
「その……。実際、撮られると思うと恥ずかしいのです。以前、一度能力者と戦った時にカメラで撮られて写真の中に封じ込められたことがあり、それ以来余計苦手になってしまって。構わないと言ったのに、すみません」
そんな少女の少し照れた顔を見て、
「そうか……。ならば、この眼をシャッターに我が心へ焼き付けるしかないな」
 残念がるものの、そんな照れた顔を見せられては敵わない、そして、そんな表情もアリだな、と思いながらカメラを置くセシルだった。
「しかし、悪魔以外にも能力者と戦ったりもするのだな。そう言った話も興味深い。是非聞きたいものだ」
「そうですね。それは機会がありましたら」
「そうか。楽しみにしているぞ、……っと。そう言えば、まだ君の名前を聞いていなかったな。改めて名乗るとしよう。私はセシル・プラージュだ」
 再び名前を告げ、ニコッと微笑んで右手を差し出した。
「私の名前は御神楽かさねです。しばしの間、よろしくお願いします」
 その笑顔に笑顔で挨拶し、その差し出された右手と握手する。
「ああっ、よろしく頼む。で、だ。これからどうするのだ?」
 セシルは握った手の感触を確かめながら、椅子に腰掛け、カメラをケースに入れてから尋ねた。
「まずセシルさんの教室へ案内してください。その不可思議な現象の現場を確かめてみたいのです」
「わかった。では行こうか」
「いえ、今すぐではなく、日が沈んでから行きましょう。私たちが追っている『悪魔』は日中、太陽が出ている間は行動しませんので」
 立ち上がるセシルをかさねはそう言って引き止めた。
 「なるほど、わかった」と言うと、部屋にあるテレビの前へ行き、電源を点けてから座り、嬉しそうにパンパンと床を叩いてかさねをそこへ呼んだ。
「これから『魔法少女アリス』が始まるのだよ。しばらく時間もあることだし、一緒に見ようではないか」
 そのとても嬉しそうな笑顔を見て、かさねはまたつられて笑顔になる。
「そうですね。時間もありますし、あなたの見たい番組を一緒にみることにします」
 促された場所に座ると、少し残念そうな顔をするセシルを見て、かさねは首を傾げる。
「どうしました?」
「私たちはこれから行動を共にする間柄。そして、心友なのだ。私はかさねと呼ばせてもらう。だから、かさねも『あなた』ではなく、『セシル』と呼んでほしいのだが」
「……わかりました。セシル」
「うむ」
「それからもう1つ、確認してもいいですか?」
「うぬ? なんだ?」
「あなたの学校にスクールカウンセラーはいますか?」


 夜の学校はとても静かだ。
 些細な音が無駄に大きく響き渡る。
 もちろんのこと明かりなどなく、照らし出すのは月明かりのみ。
 その中を静かに歩く少女が2人。
「我が学校のセキュリティも甘いものだな。こうも容易く中に入れるとは」
 やれやれと言いながら自分の教室まで先導するセシルをかさねは無言でじっと見つめる。
 その視線に気がついたセシルは振り返り、
「なんだ、かさね? そんなに熱い視線を送られても、応えるのはその、なんだ」
 と、変な誤解を始めたので、かさねは訂正して尋ねる。
「セシルは簡単に潜入したように言っていますが、この学校のセキュリティは一学校からすれば、十分に立派なセキュリティを誇っています。とても学生が簡単に突破できるものではありません。警備員を私たちとは違う方向に注意を向かせ、そちらに向かわせたり、ロックの掛かった扉のパスワードをあっさり解いたりと。何より今日出会ったとき、不覚にも私はセシルに声を掛けられるまで、セシルの存在に気がつきませんでした。周りに注意して、気配を察していたにもかかわらず。あなたは一体、何者なのですか?」
 そんなかさねの疑問にセシルは前を見て歩きながら答える。
「私はどこにでもいる一学生だよ、かさね。ただそうだな、実はこのような状況に遭遇するのは初めてではないのだよ」
 それを聞いたかさねは、少し歩を早めてセシルの横に並び、話の続きを聞く。
「その時に知り合った、そうだな、私は師匠と呼んでいるのだが、師匠に色々と教わったのだよ。視線誘導や気配の消し方を。おかげで隠密接敵の技術を少し身につけたのだよ、かさね。師匠と別れてからも訓練は続けていたが、師匠にはまだまだ及ばぬな」
 その時を思い出しながら言っているのか、なぜか照れた笑顔を浮かべている。
「そうですか……」
 そう返事をしながらも、かさねは思う。
 セシルが見せた隠密接敵技術は普通の学生が簡単に身につけられるモノではないと。
「ところで、先ほどの我が家で聞いた話だが、その『彫刻家』が私の学校のカウンセラーとして身を潜ませているという話だったかな」
「はい。残滓からして、まず間違いないでしょう」
 『魔法少女アリス』を観賞後、熱く語り始めたセシルの興奮を鎮火させた後にそれは話された。
「ところで、なぜスクールカウンセラーがいるのか聞いたのだい?」
 満足気に椅子へと掛けるセシルは、思い出したかのようにかさねへと聞く。
「はい。それは『彫刻家』がカウンセラーとして身を潜ませている可能性が高いのです」
 その質問にセシルの熱き語りを聞いたおかげで、ぐったりしながら答える。
「……『彫刻家』? それは一体何なのだ?」
「『彫刻家』とは『悪魔』の肉体、器を創り出す者を指します。『彫刻家』は独自の技術を用いて、『悪魔』の肉体を創り上げます。そして、その器に合った人の心を入れるのです」
「器に合った、人の心?」
「はい。そして、その心を判断するのにカウンセラーは良いポジションなのです。場合によっては、病院。今回は学校なのでスクールカウンセラーかと。そして、先程の曖昧な原因ですが、その『彫刻家』側の能力の場合もありますね」
「ふむ、なるほどな。では、消えたクラスメイトたちはその器に入れられる心として使われた、と?」
「ええ。その可能性が高いでしょう。そして、戻るべき肉体も処分されているでしょうから、元の姿には戻れません。そして、悪魔に止めを与えられるのも対悪魔用武器が必要です。この刀もその一つなのです」
 そう言って、かさねは前に手にしている刀をかざす。
「……そうか。では急いで解決せねば。これ以上クラスメイトを失いたくないのでな」
「では、そろそろ向かいましょう。長時間に渡るセシルの熱弁のおかげで、日が沈むまでの時間が潰せました」
「ぬう? すまないな、調子に乗ってしゃべり過ぎた」
 そして家を出た2人は、学校のセキュリティを突破してセシルの教室へと辿り着いた。
「そこと……そこ。それから、そことそことあそこだ。あと、ここもそうだな」
 計6席。
 それがセシルの記憶に不自然な感覚を生む空席となっている場所だった。
「6人、か。不思議な感覚だ。思い出せないのだが、確かにこの席には誰かが座っていたと言う曖昧なモノを感じる。ふふっ、おかしな話だ。確かと言っているのに曖昧とは」
 その顔に笑顔がどこか悲しく、笑い声も空しく響く。
 そんなセシルをよそに、かさねは教室を1周して、
「やはり、クラスメイトたちは悪魔を完成されるように使われたようですね。私がこのエリアに来て、昨日の晩に倒したのを入れて6体。その6体から感じた残滓をこの教室から感じます」
「……そうか」
「では、行きましょうか。スクールカウンセラーの部屋へ」
「ああっ、いこう」
 机の感触を確かめるように触っていたセシルを促し、2人は教室を後にした。


 ――カン。
 最初に何かを叩く音が聞こえた。
 ――カン、カン。
 それは何かを削るような音だった。
 ――カン、カン、カン。
 2階にある目的の部屋へ近づくほど、その音は大きくなっていく。
「失礼します」
 断りを入れたが、ノックもなしに、かさねはその部屋の扉を開けた。
 セシルもかさねの横から部屋の中を覗く。
 部屋は広く、まず視界に入るのは、カウンセラー用の机と椅子。
 その前に少し距離を置いて置かれている椅子と、その横にベッドがあった。
 そして視線を部屋の奥へとやると、なにやら彫刻を作る男がいた。
「……何の用ですかい? おや、セシル嬢じゃないですか。だめですぜ、こんな時間に学校にいては」
 その男は2人に気がつくと作るのを中断して、セシルたちのいるほうへ振り返る。
 上半身は裸。細身ながら褐色の肉体は鍛え上げられ、ずっと創り続けていたのか、その肉体にうっすらと汗が流れている。
「っと、失礼しやした。お嬢さん方の前でこのような格好を」
 掛けたサングラスを光らせながら、椅子に掛けてあったワイシャツを着た。
 ついでにその頭上。フサフサのアフロへとかさねの目は行っていた。
「かさね。この人が我が校のスクールカウンセラー、マサンティさんだ。皆は親しみを込めて、マサさんと呼んでいる。アフロにグサラン、口ひげと、まさにダンディという言葉がお似合いの方だが、このマサさんで間違いないか?」
「……ええ。間違いありません。ですが、私にはダンディだとは思いませんけれど」
 そんなやりとりをマサは聞きつつ、机の上に持っていた道具を置き、
「それでセシル嬢とその御友人。あっしに何の用ですかい?」
 ツカツカと2人の元へ歩み寄る。
「っあ!」
 その答えは鋭い閃光となって、マサに襲い掛かった。
 かさねの先手、不意打ちのその一撃をとっさに防いだマサの左腕を綺麗に切り落とす。
 そしてそのまま、胴体へと刃先を向かわせる。
 が、左腕で稼いだわずかな時間を使い、マサは横へと体を流し、かさねの刃をかわす。
 そして、引いた右腕を思い切り、かさね目掛けて突き上げた。
 その威力は耳に届く風を切る音が証明している。
 だがそれを避けたかさねは、当たらなくては意味がないといった笑みを浮かべ、空いた右脇腹へと刃を走らせる。
「!?」
 けれど、刃が届く前にかさねの体は床へと叩きつけられる。
 振り上げた右腕の振り下ろしを喰らって。
 その倒れて無防備な背中を目掛けて踏み下ろされた足を転がり避け、体勢を立て直したかさねは刀を引いて、頭から突撃する。
「っああああ!」
 マサの体へぶつかり、距離間ゼロ。
 しかし、体を密着状態で円舞しながら、わずかばかり引いて作り上げた空間へと刀を打ち込む。
「はっあああ!」
 だが超近接で威力不足な一撃は、気合をいれた腹筋を切り裂くことが出来ず、刃は表面を切り、血を流す程度に止まる。
「っせあ!」
 しかし、次の瞬間。
 防いだ後、腹筋部に力を、そして意識を向かわせていたために隙が生まれていた側頭部へセシルの蹴りが入る。
「くっ!?」
 その蹴りでわずかに揺らいだ体に、軸足を変えて出した前蹴りを脇腹へと入れて、マサを吹き飛ばした。
 マサの体は作りかけの彫刻へとぶつかり、その衝撃で彫刻は崩れる。
「……やるじゃないですかい、セシル嬢。前々から感じるモノがありやしたが、これほどまでとは」
 起き上がったマサは口の中の血をペッと吐き出し、何やら嬉しそうにセシルへと話しかける。
「いやいや、こちらも驚いた。マサさんもただのダンディな男ではなかったとはな」
 同じくセシルも言葉を返すが、こちらの浮かべる笑みはいつもの笑みとは違う。
 そこにはクラスメイトへ、そして今、膝をついているかさねへ向けた敵意に対する静かな怒りを含めている。
「どうやら、あっしが『彫刻家』だということがバレてしまったようで。参りやしたな。いやしかし、この学校では随分と楽しませていただきやしたぜ」
その言葉を聞いて、さらに笑みに別の色が追加されていく。
「ほう、楽しんだと? 私のクラスメイトを使って、か? いやいや、ははっ、これは参った。あははっ、なぜか笑いが込み上げてくるな」
 マサはグラサンの位置をくいっと直して、
「セシル嬢。あっしはね、創り上げた器に合った心を探すのではなく、心に合った器を創っているんですよ。ここの生徒たちは、あっしの創作意欲を刺激してくれるいい子たちが多くて、あっしもついつい長居をしてしまいやしたぜ。そして、今のは完成前に壊れてしやいやしたが、まあ、いいでさぁ。これはあっしがその場所での最高傑作が出来た後、喜びを表現するために創っていた彫刻ですしね」
「そうか。どちらにしろ、そのようなモノは私が壊すがな」
 ダン、と床を一蹴りし、セシルは笑顔で言い放った。
 そして、
「あなたもここでお仕舞いのようですね。片腕をなくし、逃げるための壁もいない――」
 切っ先をマサに向け、立ち上がったかさねも殺気と共に構える。
「――終わりです」
 その言葉と同時にかさねの突きはマサの喉へと一直線に向かう。
 が、さらに同時に窓ガラスを割って伸びる腕がかさねを壁へと吹き飛ばした。
「かさね!」
「御友人。何やら勘違いをしていやせんか? あっしの創った悪魔はもう1体いやすぜ?」
「なんだと? 私が曖昧に感じたのは、確かに6人だったはず。まさか、他のクラスからも……」
 かさねが起き上がるのを助けながら、セシルはマサに言葉を飛ばす。
「他のクラスの皆さんではないですぜ。セシル嬢のクラスメイトでさぁ」
「……なんだと?」
「そりゃあ、気がつかねえのも無理はありやせん。いきなり曖昧に、そして、消えるわけではないんですよ。そうするとかえって違和感が強くなってしまうんでさぁ。少しずつ少しずつ曖昧に、そして、皆さんの中から除外されるんでさぁ。だから、言いましたぜ? 先程の彫刻は、その場所での最高傑作が出来た後、喜びを表現するために創っていた彫刻だと。その作品はセシル嬢たちが来る少し前に出来たばかりですぜ? まだまだ、その心の持ち主に対するモノはセシル嬢に残っているはずでさぁ」
 その言葉を聞いて、かさねを抱える手に力が入っていく。
「では何か? 今日、教室内にいたクラスメイトの誰かがそこにいる悪魔になったというのか?」
 セシルはマサに言葉を向けながらも、一体誰がと、その悪魔に視線を送る。
 その悪魔は人型をしていた。色は白、マネキンのようで服を着ていない。
 その体型から男性ではなく、女性だということは分かる。
 けれど、顔には大きな穴が開き、その後ろに立つマサの顔が見える。
 そして、胸にもハート型の形をした穴が。
「作品名『顔のない悪魔』でさぁ。器は――」
「そんなことはどうでもいい。誰の心を入れたのだ?」
 空気を伝うのは怒りを声にした荒々しいものではなく、むしろ静かな起伏の無い声がマサに届く。
「リナさん、でさぁ。彼女は良い心の持ち主ですぜ? 表面上には全く見せない感情をお持ちでして――」
 最後まで言葉が続くことはなかった。
 隙と見たのか、これでもかというほど低く飛ぶ弾丸のように膝元へ刀を伸ばすかさね。
 そして、横にワンクッション置いてから腕を無くした左側から攻撃を仕掛けるセシル。
 2人の突撃から逃げるようにマサは後方にある窓を突き破り、闇へと消えていく。
 悪魔となったリナを連れて。
「くそっ!」
 悪態をつき、窓の外を見るかさねをよそに、
「追うぞ、かさね」
 と、割れた窓からマサ同様、闇の中へとセシルも消えていく。
 そして、着地と同時に、
「た、ス、け、て」
 その言葉と裏腹に現われた悪魔は素早く伸ばした手で少女の腕を掴み、裂き千切ろうとする。
「っう!」
 その握力からくる痛みに顔を歪ませながらも、少女は体間狭い中、腹部へ前蹴りして距離を開き、次いで悪魔の顎を蹴り上げる。
 悪魔の手は離れ、蹴り上げた反動を生かして、少女は後方へ宙返りを決めて距離をとり、
「かさね!」
 空に向かい、友を呼ぶ声を張り上げる。
 空。
 闇夜を照らす月と星がいる。
 その月の中、斑点のような黒い影が1つ、大きくなって舞い降りた。
 気合の入った一声と共に。
「はぁあああっ!」
 気合一閃。残光の軌跡を描きながら少女は刀を打ち下ろす。
 だが、その初太刀は紙一重で避けられた。
 けれど、
「はっ! ふっ! たぁあああ!」
 着地と同時に放たれた流れるような三撃を悪魔は身に刻まれ、塵となって消えていった。
 その姿を背に刀を一払いして鞘へ納めたかさねは、少女へと声を掛ける。
「大丈夫ですか?」
 心配するその声に、少女はビッと親指を立て、
「私は、大丈夫だ。感謝する」
 夜も照らすほどの笑顔で答えた。
 こんな状況なのに、と思いつつも、セシルの笑顔も見て、かさねも笑顔になり、肩の力が抜けていく。
「しかし、今のは何だ? あとは……リナだけのはずでは?」
「分かりません。もしかしたら、リナさんの能力かもしれませんね。いるんですよ、そういう悪魔を生み出す能力を持った悪魔が。とにかく、気配を追います」
「分かった」
「けれど、その前にですね」


「逃がしませんよ」
 学校裏の林中、わずかに差し込む月明かりに照らされ立つ少女1人。
 逃げるマサとリナの前に立ちはだかり、刀を構える。
「おや、御友人一人ですかい?」
「いいえ。セシルもいますよ。気がつきませんか?」
 しかし辺りの気配を探るが、マサにはセシルの気配を感じることはできない。
「行きます!」
 気合と共に詰め寄ってくるかさね相手にセシルを探すのを中断し、マサはリナを前に出して、かさねとリナを戦わせる。
 その間、マサは後ろに下がり、見えないセシルへと語り始めた。
「では、セシル嬢。ここで作品紹介でもさせていただきましょうかね? 作品名『顔のない悪魔』、材料となった心はご存知リナさんでさぁ」
 かさねと戦うリナに向けて、手のひらで指しながら、紹介を続ける。
 リナは思った。それは私じゃないと。
 きっかけは些細なことだった。
 クラスメイトに「それってなんだかリナらしくないね」と言われた一言。
 なぜ、その日、そんな一言が気になったかは分からない。
 でも、何か、魚の骨が喉に引っかかったような気持ち悪さを覚えた。
 その日を境に、リナは強い意識を抱いて思うようになる。
 友達の考えている『リナ』と、自分の考える『リナ』との違いを。
 そして、ある日。
 互いの第一印象や今の印象などについて、話すことになった。
 そこで語られる友達の『リナ』は悪いものではなかった。
 むしろ、友達たちは『リナ』を褒め、あまつさえ尊敬しているなど言う者もいた。
 けれど、リナは思う。
 それは私じゃない。あなたたちは誰を見ているの、と。
 そんな友達たちに気持ち悪さを覚えた。
 だから、開いたのだ。
 ――マサンティさん、話を聞いてもらえますか?
「そして、リサさんは言ったのでさぁ、自分が分からないと。それを聞いたあっしは創作意欲が沸いたのですぜ。なら彼女は自分の顔を、心を求める彫刻がお似合いでは、と」
 マサは話しつつ、辺りへの神経を鋭敏に働かせていた。
 この友達の話を聞いて、きっと向けられるだろう何かしらの変化を拾う、と。
 しかし、話す前後で変わるモノはなかった。
「……反応なしですかい?」
 と、気を緩めた瞬間――
「!?」
 ――マサは闇の中へと消えていったのだった。


「っはああああ!」
 気合一閃。
 静かな闇を切り裂くような声と共に、切っ先をリナへ突く。
 しかし、力の篭った切っ先はリナから生まれた一撃で消滅する悪魔が壁となり、通さない。
「顔を、頂戴。心を、頂戴」
 リナの口から漏れるのはその言葉のみ。
 彼女の手がかさねを捕まえようと、伸びては避けるかさねを追う。
 そして、その間をぬっての一撃を壁となる悪魔によって防がれるといった繰り返し。
「これでは埒があきませんね」
 一人ごちるかさねをよそに、手は止まることなく伸びる。
「どうやら苦戦してるようだな、かさね」
 闇の中。手にした小太刀を血で染めながら、セシルが姿を現した。
「その様子だと『彫刻家』は倒したようですね」
「ああっ。恩に着るぞ、我が心友よ。これでクラスメイトたちの敵は取れた」
「それは何よりです。では、リナさんにも別れの一言を」
 向けられたかさねの笑顔に何が良いやらと、セシルは腕を組み考える。
 そんなセシルに気がついたのか、リナは「顔を、頂戴。心を、頂戴」と襲い掛かる。
「そうだな。リナ、明日の掃除当番は私が引き受けた。今日は掃除当番を代わってくれてありがとう。私は君のことを尊敬できる友と思っている。君がどう思っていようと、だ」
 襲い掛かるリナに向けて、セシルは最高の笑顔で別れの言葉を告げた。
「――御神楽流、一陣の風」
 セシルの視界は突然吹き荒れ出した風によって奪われ、思わず手で顔を覆う。
 そして、風が吹き抜けた後。
 目を開くとリナの姿は無く、そこにはボロボロになって小さく微笑むかさねが1人立っていた。
「お疲れ様だな、かさね」
「はい、お疲れ様です。セシル」
 こうして事件は2人の笑顔で幕を下ろした。


「それにしても限定された技だな、一陣の風とやらも」
 学校からの帰り道。
 ボロボロになっているかさねはセシルに苦笑しながら言う。
「ええ。今の私では、狭い室内では使えませんし、一定のタメが必要ですし、使うとボロボロになりますしね。でも、本当はもっと便利な技なんですが、何分私がまだ未熟でして」
「……しかし、そのようなボロボロだと妙な色気が……」
 そう言って向けられる視線にかさねは破れた箇所を押さえながら、「そんなにじろじろと見ないで下さい」と恥ずかしそうに言った。
 それがまたセシルの心をくすぐるのだが、何とか堪えて前を見る。
 セシル宅に帰宅後。
 セシルの家に着いてから2人は楽しく語り合った。
 と言っても、主に聞ける範囲でかさねの話をセシルが聞くという形ではあったが。
 そんなかさねと楽しい時間を過ごした翌日。
 セシル宅前で2人は別れる。
「今回はセシルの協力のおかげで助かりました。ありがとうございます」
 深々と頭を下げるかさねを手で制し、
「こちらこそ感謝だ。ありがとう、かさね」
「いえ。それでは私はこれで」
「また会えるのを楽しみにしている。今度はこのような形ではなく、だ」
「ええ。今度は遊びに来ます。それでは」
「そうしてくれ。ではまたな」
 2人は別れた。
 お互いに笑顔を交わして。
目次に戻る | トップに戻る | 掲示板へ | web拍手を送る
Copyright (c) 2007 Signal All rights reserved.
  inserted by FC2 system