『レスター 真昼に奏でる小夜曲(セレナーデ)』

次に進む | 目次に戻る | トップに戻る
 世界は静かで聞こえてくるのは楽器の音色と1人の青年の声だけだ。
 青年は月を見上げて楽しそうに歌う。
 空には雲1つなく、無数の星と綺麗な円を描く満月が輝いていた。
 彼はその星や月たちと歌いながら待っている。この世界の持ち主である少女が来るのを。
 まだかな、夜が訪れるのは。
 まだかな、彼女が眠りにつくのは。
 彼は少女が来るのをまだかと待っていた。しかし、少女を待つのは苦ではなく、それはとても楽しい時間だった。この彼女を想って歌っている時間がだ。
 ここはある少女の内にある世界。
 その世界に存在する月を見ながら彼はとても楽しそうに歌いながら歩いている。
 地は広がり、遮る壁はない。踏み出し歩く場所は全て道となる。
 彼は歌い歩く。目に映るあの月から少女が降りてくる姿を思い浮かべながら。
 歌うのはセレナーデ。それは少女への想いを込めた歌である。
 彼は歌い待つ。少女が来るのを。
 早くおいで、オレの想い人。そして、今夜も楽しく話し、遊ぼうよ。なんてね。
 彼がそんなことを言う自分に苦笑をしていると、その想いへ応えるように少女の声が世界に響いた。
 ――ええ、いいわよ。遊びましょうか。
 その声は優しく、綺麗でまっすぐとした少女の声だった。
 声の先には少女が1人。彼の前に姿を現した。
 ショートカットの黒髪は膝上のスカートともにわずかに揺れる。細い腰に肩から伸びる細く肌理細やかな白い手を当て、黒く綺麗な瞳はまっすぐ彼に向けられていた。
 その顔はこの上なく整った目鼻立ち、その笑みは愛らしいものだった。
 少女の姿を確認した彼は嬉しそうに少女へ話しかけた。
「やあ、おは……今は……おはよう? それとも、こんばんは?」
 彼は顎に手を当て、首を傾げて考え込む。
 その最初の一言に考えて悩む青年の姿がおかしく、少女は笑って教えてあげた。
「今は『こんにちは』よ、ドゥールさん。外では太陽が真上にある真昼ですもの」
 ドゥールは少女が自分へと話しかけてくれたことが嬉しいのか、
「こ、こんにちは、セレナ。今日もキミは美しく明るい太陽のような少女だ」
 普段しないような芝居がかった仕草でドゥールは一礼した。
「こんにちは、ドゥールさん。お褒めの言葉、ありがとう。でも、声が裏返っているわよ、緊張しているの?」
 セレナは意地悪そうに笑い、「どうなのよ?」とドゥールの顔を覗き込む。ドゥールはセレナに見つめられ、恥しくってつい眼を逸らしてしまった。
 それから大きく深呼吸をして、こほん、と声を整える。
「ま、まさかお昼寝をしてまでオレに逢いにきてくれるだなんて、とても嬉しいよ」
 照れ隠しのつもりで言った言葉だが、言った後になんてことを言ったんだと自身の言葉でより恥ずかしくなっていた。
「ううん、眠かったから寝ただけだけど」
 と、照れ隠しの言葉を笑顔であっさりと否定された。
 その一言に少なからずショックを受けて、固まったドゥールだが、
「で、でも、こうやって会えて嬉しいよ!」
 すぐに立ち直り、いい方向に解釈した。セレナは一瞬呆然としたが、そんなドゥールがおかしくてつい笑ってしまった。
「ドゥールさんはいつも勝手に落ち込んで勝手に立ち直るのね。でも、その立ち直りの速さはドゥールさんの持ち味ね。うん、いいことだわ」
 うんうん、と笑顔で頷くセレナを見て、それがなんだか嬉しく感じた。
 今、彼女が見ているのは自分だけ。彼女がどんな感情で自分を見ていようとも今は自分だけが彼女と一緒。だから、つい口元が緩んでしまう。目がにやけてしまう。
 だって、それも仕方がないことだ。
 あれほど遠くにいた彼女が数歩寄って手を伸ばせば届く位置にいるのだから。
「でも、さすがにこれ以上私の中にいるのも考えものよね」
 その言葉に思わず伸びそうになっていた手が止まる。
「あなたがここにいるのはあの夢の渡し人見習いの子に事情を説明してもらったからわかるんだけど、うーん、どうしたものかしら。今のこの状態が楽しい状態ではあるんだけど、なんだか嫌な予感がするのよね」
 セレナは傾げた顎に手を当てながら、思案気に考え込む。
 世界には様々な渡し人がいる。次元から次元への架け橋を作る『次元の渡し人』、時から時への架け橋を作る『時の渡し人』などある対象からある対象への架け橋を作り、渡す者たちのことを『渡し人』と呼んでいた。そして、『夢の渡し人』はその名の通り、夢から夢への架け橋を作り、渡す者のことを指している。
「でも、あなたがここにいるのはまだ問題が解決していないからなんだろうけど。もう今日で1週間よね? あっ、ごめんなさい。あなたのことを考えずに」
「いや、気にしないで。その、こんなことになっていうのもなんだけど、その、こうやって君と話せているのだから」
 それは偽りの言葉ではなく、本心であり、本当に嬉しく思っていた。ただその照れながら言っている言葉を聞いているのかいないのか、セレナは腕を組み、どうしたものかしらと考え込む。しかし、特に何か思いつくこともないので、最初の言葉どおりに今日も遊ぶことを提案し、ドゥールはその意見に賛同した。
「じゃあ、そうね。今日は鬼ごっこにしましょうか? ドゥールさんが鬼ね。私は逃げるから10数えてから、追いかけてきて。で、今日も負けたほうが相手の言うことを1つ聞く。制限時間は私が目を覚ますまで。いい?」
 鬼ごっこと聞いて、セレナも子供っぽいところがあるなとか思いながらもドゥールは頷き、確認したセレナはスカートを翻し、駆け出した。
 そのとき、ドゥールは思わずスカートの辺りへと目がいってしまう。
 そのスカートから伸びる白くて綺麗な足に魅了され、
「それじゃあ、スタート!」
 と、始まりの言葉に反応するのが遅れた。そんな目で見られていることなど気がつかず、セレナは駆けながら詠唱し始めた。
「――駆ける体は鳥の羽根。私の体は風に飛ぶ」
 10を数え終わったドゥールはすでにかなり先の距離を行く彼女に驚いたが、気合を一声入れて、追いかけ始めた。この1週間遊んでいて知ったというより再確認したのはセレナが相当な負けず嫌いだということだ。最初、セレナに華を持たせようと力を抜こうとしていたことを見抜かれて怒られたりもしたな、と思い出しながら走った。
 しかし、魔法により速度を増して空を駆けるように走るセレナの速さは、疾風の如く。
 2人の距離は一気に離れていった。
「――追いかけるのはどこの誰? 迷子になるのはどこの誰? 優柔不断は命取り。少女は迷路で捕まえて」
 詠唱終了と同時にドゥールの目に映る光景がひび割れ、ずれた。
「!?」
 ひび割れた光景は崩れ落ち、混ざり合う。でも、それは一瞬の出来事。はっと気がついた時には、いつの間にか両側には高い壁が立ち、自分が狭い石造りの道を走っていることに気がついた。そして、目の前は曲がり角。ぶつかりそうになり、急ブレーキ。
「っと!?」
 その反動で思わず尻餅をついてしまった。
「あははっ、おっかしい」
 顔を上げると、道を照らすため壁にかかってずらりと並ぶランプたちがおかしそうに笑っていた。彼女の作り出した迷宮に迷い込んだドゥールは立ち上がり、すでに見えなくなったセレナを追いかけ始めた。そんなドゥールへ自信に満ち溢れた声がどこからともなく届く。
「さあ、追いかけていらっしゃい。でも、私は捕まえられないけどね」


 空の太陽は傾き、眠りにつこうと地平線を被ろうとしている。
 では私の出番ですね、と月が代わりに起き上がり姿を現す少し前。
 太陽の眠りを妨げるような熱気と歓声が闘技場で渦巻いていた。
 その渦の中心。闘技場に浮遊するバトルフィールド。
 観客全ての視線が集まり、勝者への歓声と拍手が1人の少年へ送られていた。
 その送られた先の少年は先程まで手にしていた大太刀をいつの間にかしまい、糸の切れた人形のように動かない対戦相手へ背を向け、観客たちの歓声と拍手に応えながらバトルフィールドを去っていく。その姿が大型スクリーンに映し出されていた。
 そして、バトルフィールドの側に設けられた表彰式の場へ移り、優勝トロフィー、賞金などの授与が行われ、皆からの拍手の中、無事に終了した。
 しかし、闘技場内の熱気は冷め止まない。なぜならば、まだ本当の終わりを告げていないからだ。闘技場の北側に設けられた舞台の上にはオーケストラとゴスペル合唱隊がすでに準備を終えていた。
 最後に幕を下ろすのは歌姫。
 観客たちはその歌姫の登場はまだかと待っていた。しかし、その大いに盛り上がっていた闘技場内の期待は歌姫不参加の場内アナウンスで凄まじい失望の嵐へと変わる。
 そして、
『ええ、観客の皆様へのお詫びとしまして、本来ならば歌姫自ら紹介し、歌姫と一緒にダンスを披露してくれるはずだった――』
 スポットライトが舞台の一点に集まり、1人の男が姿を現した。
『――歌姫の婚約者であるドゥールさんのダンスをご覧下さい!』
 一瞬、場内アナウンスの言葉で会場の空気が止まり、
「そんな!!」
 観客1人の絶叫を皮切りに闘技場は騒然とする。歌姫はまだ10代半ば。先日の誕生日でようやく結婚が許される年齢となったばかり。だというのに、このいきなりの婚約者の登場。皆に愛されているからこその騒然。
 そんな中、曲はかかり始め、ドゥールが1人、スポットライトの中でダンスする。黒のパンツにオレンジのシャツ、深く被った大き目のハットに顎鬚のある小柄な男。
 そんな歌姫を射止めた男を見てやろうと皆が注目する。そこにブーイングの声は聞こえない。なぜならば、今舞台で踊るのは皆が愛する歌姫が選んだ相手。そんな彼にショックは受けてもブーイングなど与えはしない。そんなことがあれば、愛する歌姫が悲しむから。
 だから、観客は黙ってドゥールのダンスに注目した。そして、注目されるドゥールのダンスは決して下手というわけではなかった。しかし、上手いともいえない。そんな彼のダンスを見て、会場が少し白けた空気が漂い始めてきた。「なぜ彼女は彼を?」と、その彼がダンスをしている姿を見ていて、疑問を抱く声が聞こえてきそうだ。
 決してダンスの上手い下手で婚約者になったのではないだろう。それに自分のダンスの実力もわかっているだろうに、この5万人という観客の前でダンスをするということはどれほどの度胸がいることだろう。それはかってもいいだろう。しかし、そのダンスする姿を見ていると不満が出てきてしまう。
「ん?」
 会場中にそんな不満、白けた空気が満ちた時、突然曲調が変わり始め、彼のダンスのキレがだんだん良くなっていった。さきほどまでのダンスはなんだったのだろうという、クエッションマークが会場に浮かぶほどにレベルが上がっていく。
 そんな会場の疑問をよそにドゥールはターンをし、観客に背を向けて指を鳴らしながらリズムを取る。そして、向き直る際に深く被っていたハットを放り投げたドゥールを、
「ええっ!?」
「うわっ、やられた!」
 観客は驚く声と大歓声で迎え入れた。
 深く被ったハットの下から現れたのは歌姫。付け髭を剥がし、観客の反応を見てとても嬉しそうな笑顔がライトアップされた。
『以上、ドゥールさんでした!』
 その場内アナウンスに笑いと拍手が闘技場を包んだ。
 『彼』は放り投げたハットを拾い、それを大きく振り観客に応えて舞台を降りていった。


 『彼』が舞台から降りて、しばらくすると、皆が待っていた歌姫が舞台に姿を現した。
 その姿は人魚姫をイメージし、水色を基調にしたステージ衣装。
 スケルトンミニスカートを穿き、その下にはスパッツにロングブーツを履いていて、可愛くもどこかやんちゃな人魚姫が演出されている。観客は先程の盛り上がった感情を現れた少女の姿を見て、さらに高めた。
「セレナちゃーん!」
「きゃあああ、素敵!」
「俺のセレナちゃんは今日も可愛いぜ!」
「なっ、オレのセレナちゃんだぞ!」
「なに言ってるんだよ、お前ら。セレナちゃんはみんなの女神、今日はさしずめおれたちを魅了する可愛くもやんちゃな人魚姫さまだぜ? あっ、今、おれと目が合った!」
「ちょっ、馬鹿! オレとだよ!」
「何言ってやがる、俺とだ! って、曲が始まったぞ!」
 声援に応えるように曲が奏でられ始め、言い合いをしていた男たちも言い合いを中断し、セレナのほうへと向き直る。そして、セレナは歌い始めた。
 その歌声は無邪気で可愛い幼さを感じる甘い低音、わがままでいたずらっ子のような高音と様々な姿へと変わっていく。
 その歌声を例えるならば海だ。海のように穏やかで深く澄んだ優しさと力強く鼓舞させるような荒々しさを併せ持った歌声だ。
 ゴスペル合唱隊の声の層が少女の歌に一層の厚みをつけ、すごい迫力をみせている。その歌声と表現力に会場にいた誰もが魅了され、圧倒された。
 何曲か続いて、最後にオーケストラが奏でるのは熱気と歓声を仰ぐようなお祭りの曲であった。セレナが両者の無事を安堵し、勝者を称え、観客を煽り、盛り上げ、歌い続ける。
 その姿は闘技場に設置された大型スクリーンにも映し出されていた。それを大会の優勝者である10代半ばの少年も他の観客同様に楽しんでいる。
 年に1度、この時期に行われるこの国での大会は近隣諸国の猛者たちも集まり、参加者は年々増加していく。メインの会場となり開閉幕式が行われるこの闘技場の収容人数は5万人という大規模な武闘大会である。
 大会期間は1ヶ月。試合は毎日繰り広げられ、それは国を挙げてのお祭りと化す。
 参加者は様々な想いを込めてこの大会に参加する。優勝した少年もせめて明日の食費だけでも稼ごうという切実な願いのために参加した。
 が。結局優勝してしまい、明日の食費どころか当分は生活に困らないほどの大金を手にした。しかし、決して大会参加者のレベルが低かったわけではない。例年以上の強豪の参加によるハイレベルな試合の数々に観客は大いに盛り上がった。ただ他の参加者に比べ、少年のレベルが群を抜いていたというだけの話だ。
 その戦い様はまるで華麗な舞いを踊っているようだった。その華麗な戦い様に近隣諸国で無名だった少年は一気に人気を集め、そして、その容姿も手伝い、女性たちの心をも掴んだ。今は己の貧困が解消されたこととセレナの素晴らしい歌声を楽しみ、幸せのようだ。
 歌が終わり、会場が歓声と拍手で揺れる。5万人によるスタンディングオベーションがセレナへと降り注いだ。セレナは空から降り注ぐその拍手と歓声の雨を気持ちよく浴びると会場にいる観客たちに笑顔で大きく手を振り、舞台を降りていった。
 しかし、会場はまだ拍手と歓声で揺れている。それほどセレナの歌は素晴らしく、皆を感動させた。少年もセレナへ惜しみない拍手を送っている。
 その頃には太陽は地平線を被って眠りへと就き、月が代わりに空へ座っていた。


 暖かい陽射しが降り注ぎ、優しい微風が心地良い昼下がり。
 少年は眼下に広がる景色を眺めながらおいしい紅茶を楽しんでいた。
「うん、香りも味も上品だな。これは」
 ドンドンドン!
 どこからともなく何かを激しく叩く音がした。
「……これは」
 ドンドンドン!
 少年は気にせず紅茶について1人楽しく感想を述べようとしたが、この音はそれを許してくれはしないようだ。
「一体なんなんだ、この音は?」
 立ち上がり、耳を澄ましながら辺りを回って音源を探し出した。
 ドンドンドン!
 しかし、その音はまるで世界そのものに反響しているように聞こえた。音源の特定ができず、少年は頭を掻き、この現象について頭を巡らす。そして、一考を要して何かに気がついたように辺りを見回してから空を一瞥し、確信したように頷いた。
「そうか、そういうことか。どうぞ、この夢への干渉を許可します」
 少年からの許可が下りると何もない空間に扉が表れ、そこから1人の少女が姿を見せた。年は10、11歳くらいだろうか。ショートパンツにタンクトップ。ふわふわした栗色の髪の毛をポニーテールにし、大きなリボンをつけている。
「すみませんですぅ。私、きゃあ!?」
 少女はさっきまで少年が座っていた椅子と丸テーブルに思いっきりぶつかって、ひっくり返して一緒に転んだ。ついでに紅茶を頭から被り、ティーカップやポットは無残にも細かく粉々な姿へと変貌させた。
「大丈夫?」
 その倒れた少女へと手を差し伸べて立つのを助け、もう片方の手にハンカチを持ち、濡れた頭を拭いてあげた。
「ありがとうですぅ、レスターさん。いきなり来て申し訳ないのですが、一緒に来てくださいですぅ」
 と、少女はレスターの腕をぐいっと引っ張ると扉の中へ連れて行こうとした。
「どうして?」
「説明は向かいながらするですぅ。セレナさんが大変なんですぅ。とにかく時間がないので一緒に来てくださいですぅ」
 レスターの腕を引っ張り、くりくりとしたつぶらな瞳に涙をため、早くですぅ、早くですぅと促している。レスターは服が所々ボロボロになっているこの少女が嘘を言っているようには見えないと判断し一緒に行くことを決めた。
「わかった、行こう」
「はいですぅ!」
 レスターは少女に腕を引っ張られ、扉の中へと入っていった。
 そこは夢の架け橋。
「私の名前はルーシィ。夢の渡し人見習いですぅ」
 ルーシィは挨拶を済ませ、今回の経緯を語り始めた。
「事の始まりは1週間前のことですぅ」


「いけですぅ! そこ、ちがっ、そう、そうなのですぅ!」
 武闘大会決勝トーナメント1回戦2日目第15試合。
 ルーシィは師匠の許可を得て、武闘大会決勝トーナメントを観戦していた。
「そうっ、そうっ、そうっ! きゃあああ、やったのですぅ!」
 会場は選手へ向けての声援が飛び交い、観客たちの熱気もすごく、その熱を受け、彼女も大きな声で応援し、応援した選手が見事勝利。思わず絶叫してしまった。
 近くに座っていた人たちとハイタッチ。そして、再び勝利した選手に拍手を送った。
「すごかったのですぅ! 根性があるのですぅ! す、ごほっごほっ! さ、叫びすぎたのですぅ」
 少し涙目になりながら興奮のあまりむせてしまった喉を押さえた。
「あっ」
 そして、渇いた喉を潤そうとしたが、手には中身がない紙コップが握り潰されていた。
 闘技場は観客たちの熱気で蒸し暑い。ただ座っているだけで額に汗をかき、喉も渇く。
 他の観客同様、ルーシィは声を出して応援していたのだ。流れる汗も多くなれば、喉が渇くのも早くなる。闘技場の時計を見ると、まだ本日の最終試合まで時間があった。
 それを確認すると、彼女は闘技場に設けられた売店で向かうことにした。
 が。
「ちょっ、押さないで下さいですぅ! いっ! あ、足を踏まれたのですぅ!」
 闘技場売店通りは人が溢れていた。
 背の低いルーシィは見事に人波に飲まれて進むどころか押し戻されていく。
「押すな、この野郎ですぅ! 蹴りを喰らわすのですよぅ! って、わああああ!」
 彼女の声は誰にも届かず、気がつけば席側の出入り口付近まで戻っていた。
 ふと見上げると、何事もないように大人たちが歩いている。
「ひ、非力すぎもいいとこなのですぅ。世はまさに弱肉強食だということをジュースを買いに行くということだけで実感するとは思いもよらなかったですぅ……」
 そう呟きながら肩を落とし、途方に暮れていると、
「大丈夫?」
 と、後ろから声をかけられた。
 振り向いた先には両手に紙コップを持つ青年が立っていた。
「あっ、隣に座っていた……ドゥールさんですぅ」
「ルーシィちゃん、でいいんだよね。これ、よかったらどうぞ」
 と、手に持っていた紙コップを差し出してきた。
「い、いいのですか? いいのですね。わぁ、ありがとうですぅ!」
 ルーシィは笑顔で受け取り、礼を述べた。
「どういたしまして。それよりもうすぐ試合が始まるよ。席に戻ろう」
 近くにあった時計を見て時間を確認してから「はい」と返事をし、2人は席に戻った。


 席に戻ると、場内アナウンスが流れ、闘技場中央のバトルフィールドに試合で闘う2人が姿を現した。
 1人は隣国で有名な弓使いの女性。大会前の予想通り、その巧みな弓捌きで決勝トーナメントまで順調に勝ちあがってきた。
 もう1人は無名ながらもここまで勝ち残ってきた少年。例年以上に強者の参加が目立つ今大会において優勝候補をすでに何人も倒し、ここまで勝ち上がってきた。主催者側の推薦枠で特別参加してきただけあって、強さは本物だった。無名ながらもその強さ、容姿から男女ともに人気急上昇していた。試合開始前だというのに女性の黄色い声援が聞こえる。
 そして、推薦枠に少年を強く推したのがセレナということもあり、話題もあった。
「ドゥールさんはどっちが勝つと思うのですぅ? 私はあのレスターさんが勝つと思うのですぅ。セレナさんとの関係やその強さ、容姿も併せて、いまや今大会ナンバーワンの人気選手ですから」
「そうだね。オレの予想もあのレスターだね。今までの試合も見たけど、なんていうか1人次元が違うっていう感じだね。本当に……すごい」
 などと、2人で試合結果を予想していると周りの人たちも予想に参加し、その話で盛り上がる。そして、そうこうしているうちに試合が始まろうとしていた。
 今回のバトルフィールドは岩場。
 闘技場中心の浮遊しているバトルフィールドは試合毎にランダムで変化し、浜辺、草原、氷上など様々なフィールドが用意されている。
『さぁ、誰がここまでの戦いを予想したか、レスター選手の登場だ! もはや今大会1の人気選手! そして、現在の優勝候補筆頭だ! 相手も同じく優勝候補だが、どのような戦いを見せてくれるだろうか!』
 場内アナウンスの選手紹介の合間にレスターと弓使いはフィールド上で対峙し、試合開始の合図を待つ。その間もレスターには黄色い声援を中心に声が飛んでいた。
 そして、
『用意はいいかい!? 本日の最終戦、バトル、スタート!』
 試合開始の合図で、弓使いは後方へ大きな弧を描きながら宙を舞って飛んでいた。
『えっ?』
 会場にいる皆もその一瞬の出来事に場内アナウンスと同じく短い声を上げていた。
 会場中の視線はいつの間にか空を舞っている弓使いを追っていく。その弓使いは重力に逆らわずに頭から落下していったが、すでに落下地点に移動を終えていたレスターによって勢いを殺して優しく受け止められた。
 目の前で起こった出来事に理解が追いつかないのか、会場は静まり返る。
 すでに意識を失っている弓使いをそのままお姫様抱っこをして、レスターは「判定はまだですか?」と判定を求める視線を送っていた。
『あっ、えっ? あっ、勝者、レスター!』
 その場内アナウンスに静まり返っていた会場は沸きあがる。
 勝者の判定を確認したレスターは弓使いをお姫様抱っこしたまま、バトルフィールドを去っていく。その姿に黄色い声が高まり、その声援の中から「私もお姫様抱っこしてー!」との声がいくつも聞こえてきた。
『あっという間に終わってしまいました! まさに電光石火! なんという強さだ!』
「強すぎですぅ! 試合時間短すぎですぅ! 圧倒的な試合だったのですぅ! もっと盛り上げろですぅ! 推薦枠はだてじゃないのですぅ! 観戦料返しやがれですぅ!」
 ルーシィは興奮しながらその強さを絶賛し、または文句を叫んでいた。他の観客も同様に盛り上がりをみせ、女性客の多くが黄色い声を上げている。会場がレスターへ歓声を送っているそんな中、彼女は悪夢具現化の前触れを感じた。
 全ての悪夢には種が宿る。宿った種は宿った悪夢を栄養とし、芽を出す。さらに育つと華を咲かせ、やがて枯れる。そして、実を作り、枯れては種を増やして、悪夢へと孵る。
 その繰り返しを経て、その持ち主の内側に広がった悪夢は形をなし、1人歩きを始めるのだ。
 夢の渡し人はその名の通り、夢と夢を渡す人。
 しかし、それ以外にも夢に関連した事象、悪夢具現化の対処行為などをとることもある。
 ルーシィもまだまだ見習いとはいえ、夢の渡し人。悪夢具現化の前触れの先を感知し、特定し、その特定先であるドゥールへと視線を移した。


「そして、私はドゥールさんの悪夢を対処してもらおうに師匠を呼びにいったのですが、師匠は他の仕事をしに出掛けるという置き手紙を残していなくなっていたのですぅ。なので、ここは私が解決しようとしたのですが……」
 ルーシィは言葉を一旦区切り、申し訳なさそうにレスターへと話し出した。
「むしろ悪化させてしまったのですぅ!」
 と、今にも泣きそうな顔で懺悔した。
「実はですね。ドゥールさん、魔導師になる資質があって魔力をもっていたのですぅ。なので、悪夢だけでなく魔力も栄養にしていたので種の成長が早くなっていたのですよ。私の力で行う悪夢の分解などの作業速度では全く影響を及ぼさないくらいの速さで成長して困っていたのですぅ。そこで悪夢の原因の1つでもあるセレナさんへの想いを和らげようとセレナさんに相談して、ドゥールさんをセレナさんの夢の中に預かってもらっている間にドゥールさんの夢で育っている悪夢を対処しようとしたのですが、うまくいかなかったのですぅ」
 ルーシィは言って肩を落としながら走り続け、その斜め後ろをレスターは走って続いた。
「それでこれ以上セレナさんに負担をかけるのもいけないと思い、一度ドゥールさんに自分の夢へ帰って来てもらおうと思ったのですぅ。それでドゥールさんとセレナさんの夢を繋ぐ架け橋を通して、セレナさんの所へドゥールさんを迎えに行ったのですが、架け橋に夢喰らいが侵入してきたのですぅ!」
「夢喰らいが?」
「そうなのですぅ! その夢喰らいがドゥールさんの悪夢に惹かれてやってきやがったのですが、ドゥールさんの悪夢を喰らっただけでは気が済まず、私の通した架け橋を通って、セレナさんの夢まで喰らいに来やがったのですぅ! 私の力では足りず、夢喰らいを倒せないですし、私が架け橋を架けられる範囲以内にいて、事情を理解が出来て、夢喰らいに対抗できそうなヒトはレスターさんぐらいしかいなかったのですぅ!」
「じゃあ、今はセレナが?」
「はい、そうなのですぅ。その間にレスターさんを呼びに来たというわけですぅ」
「……そう。わかった、急ごう」
「はいですぅ!」
 2人はさらにスピードを上げて走り出した。


 2人が向かっている間もセレナと夢喰らいの闘いは続いていた。
 セレナの夢世界に地面を削った音が響いている。
 削ったのは3メートル近くあり斬るというよりは押し潰すといった印象を受ける大剣。
 その分厚く長い大剣を2メートル近い長身の夢喰らいが持ち上げ、巻き上がった砂埃の中、避けたセレナを鋭い碧眼で捜す。
 その砂埃の向こう、セレナの声が響いて夢喰らいの耳に入る。
「っあ!」
 夢喰らいは掛け声と供に大剣を声の先へと突き出した。
 風圧によって、砂埃は晴れたその先。突き出された大剣を避けるセレナの姿があった。
「――守護する盾は反転し、風を纏いて、鋼と成せ!」
 セレナの詠唱が終わると、夢喰らいを中心に渦巻く風の壁が現れ、一瞬動きを封じた。
 本来は自身を守る防御魔法なのだが、セレナはその詠唱の際に発生する魔法式の構築を分析、分解、変化、再構築を自身で行い、自身ではなく、相手をその防御魔法の中に入れて動きを封じ込めた。
「――蒼穹を駆ける翼よ! 風の刃と化し、敵を討て!」
 休むことなく続けざまの詠唱で生じた風の刃が敵を閉じ込めている風の壁を通り抜けては夢喰らいへと襲い掛かる。しかし、夢喰らいは風の刃を風の壁ごと大剣で裂き、風の壁の外へと跳び出る。だが、それも予想の中にあったセレナはすでに次の詠唱を開始していた。
「――駆ける体は鳥の羽根。私の体は風に飛ぶ!」
 跳び出してきた夢喰らいは勢いを殺さず、セレナへと大剣を振るう。
 しかし、すでにそこにはセレナの姿はなく、左肩に一瞬重みを感じ、その方向へと視線を動かすと、そこには空を舞うセレナの姿があった。
 夢喰らいの肩を踏み台に夢喰らいの後方へと着地の際、バランスを崩しながらも移動したセレナはさらに詠唱を重ねていく。
 そんなセレナに対し、夢喰らいは振り返り様、大剣を横に薙ぐ。
「なっ!?」
 しかし、セレナに触れる直前、体が何かに縛られた。
 発動したのは風の拘束魔法。特定の空間に進入した対象を風の渦が捕縛する。
 遠隔操作の設置型であり、発動までほぼ不可視。そして、周辺に発生する風系統魔法の威力を向上させる効果のある上級拘束魔法である。
 その間にセレナは跳びながら後退しつつ、詠唱を続け、大きな魔法陣が展開する。
 先ほどまで使っていた魔法とは比べ物にならない大型魔法の詠唱だ。
 戦闘が始まってからのセレナは高速での移動による回避をしながら、攻撃と防御をしつつ、次の魔法の発動への移行という状態を繰り返していた。
 しかし、夢喰らいは本来持つ魔法耐性に加え、ドゥールの魔力入り悪夢を喰らったせいか、魔力耐性が向上し大したダメージを与えられずにいた。
 そのため、大型魔法での攻撃が必要となったが、筋肉隆々の大男は外見に似合わず、動きが思ったよりも素早く、さらには魔法耐性があるので中々動きを止めることが出来ない。
 その時間を稼ぐため、先に張っておいた拘束魔法の範囲空間へと誘き寄せ、不意にかかったことによって生まれるであろう隙と拘束魔法発動空間をわずかな場所に特定したことによる拘束魔法の強化によって稼げる時間で大型魔法を放つ計算をしていた。
 セレナの魔力光色は蒼空、蒼い海のような色。
 詠唱が進むにつれ、セレナの周辺空間に蒼色の輝き――使用したことにより散らばった魔力の残滓――が魔法陣の中央に集束されていく。
 集束された魔力の球体はすでに夢喰らいからはセレナの姿が見えないほど巨大な球体と化した。夢喰らいは手足を暴れさせ、風の渦を砕こうとしている。
 放つのはセレナ最大の攻撃魔法である集束型砲撃魔法『集束された風の破壊者』だ。
 セレナは残っている魔力の大半を球体へと注ぎ込む。詠唱は終わり、巨大な球体はもはや爆発寸前の状態だった。後はトリガーとなるスペルを発するだけだ。
「集束された――」
「うおおおあああっ!」
「――風の破壊者!」
 轟音とともに蒼色の輝きが巨大な柱となって一直線に夢喰らいへ襲いかかり、この一撃を受け、夢喰らいは最期を迎えた。
 ――はずだった。
「外れた!?」
 夢喰らいは完全に避けきれず、大ダメージを受けたが、それでも直撃を喰らったわけではない。いまだに動く体を動かして、セレナへと詰め寄る。
 そして、セレナの前へと辿り着き、大剣を上から下へと思い切り振り下ろす。それを小型の魔法陣で防ぐ。詠唱不要の高速起動型防御魔法だ。
 しかし、完全には防ぎきれず、体は地面に打ちつけられながら吹き飛ばされた。砂埃の向こう。セレナは倒れ、動かない。
 誤算は自分の魔力と体力の読み間違い。ドゥールの一部を自身の体に置いている状態は体力を削り、魔力を消費する。ドゥールがいる限り、セレナの体力と魔力は減り続けていった。セレナ自身もそれはわかっていたはずだった。それを計算に入れて闘っていたつもりだったが、その両力の消費がセレナの感じる以上のものであり、予想と結果に誤差が生まれたのだった。
夢喰らいはセレナが頭を強く打って意識を失ったと判断し、歩いてゆっくりと近寄っていく。これから口にするセレナの夢という極上の食事を楽しみにしながら。
「や、やめてくれ!」
 そのセレナと夢喰らいの間。
 今まで隠れていたドゥールが飛び出し、セレナを守るように両手を広げて立つ。
「頼む、もうオレの悪夢を喰らったんだろ? なら、もういいじゃないか!」
 強い口調を発しながらも足の震えが見て分かるそんなドゥールの姿を見て、夢喰らいは口の端をつり上げて笑いながら喋り出した。
「ああっ、彼のように強くなりたい」
「!」
 夢喰らいの言葉と声にドゥールは眼を見開き、驚きの表情が顔に出る。
「背ももっと高く、そう2メートルは欲しい。腕もこんな細い腕ではなく、大剣を軽々と振り回せるほどに力強く太い腕が欲しい。そして、走るのが遅いこんな足ではなく、速く駆けることのできる力強い足が欲しい。顔には自身に対する自信に溢れているそんな自分でありたい――」
「や、やめてくれ! それ以上オレの言葉を発しないでくれ!」
 そう。夢喰らいが発するのはドゥールの想い。悪夢の中にあったドゥールの想い。
 そして、今ドゥールの前にいる夢喰らいの姿はドゥールの悪夢が影響した姿。
 あの圧倒的強さで勝ち続けていった彼、レスターを見て、以前からあったそんな想いが膨れ上がっていった。それが今回の悪夢の原因の1つ。セレナへの想いとレスターへの想い。その2つに感じた想いと使えないが存在する魔力。それらが混ざり、悪夢の具現化を早めた。
「――セレナに触れたい、近寄りたい。オレという存在をその他大勢の1人としてではなく、ドゥールという一個人として認めて欲しい――」
 しかし、ドゥールの悲痛の叫びを聞いて、余計に楽しそうに想いを発し続ける。
「――だから、歌う。彼女への想いを込めたセレナーデを。この想いが届くようにと」
 ドゥールはなんとか夢喰らいの両眼から眼を逸らして頭を抱え込み、膝を折ってうずくまる。
「やめてくれ、やめてくれ、やめてくれ、やめてくれ、やめてくれ!」
 口から漏れるのは懇願の言葉。耳を押さえ、夢喰らいの言葉を聞くまいとする。
 しかし、言葉は聞こえてくる。耳からではなく、直接心へと声が語りかけてくるようだ。
「もう、オマエの悪夢は喰らった。そして今、オマエの苦しみに震える姿を見て、楽しんでいる。オマエは用済みだが、悪夢の礼にその悪夢を見ながら終わりとしようか」
 夢喰らいは大剣を振り上げ構える。しかし、ドゥールは耳を押さえ、震えたまま。その姿を今一度確認して夢喰らいは嬉しそうに笑いながら、大剣を振り下ろした。
 が。横から速く鋭い光の槍が大剣を弾き飛ばした。
 光の槍が飛んできた方向。夢喰らいが視線を移すと1人の少年が立っていた。
「レスター、だな」
 ドゥールの悪夢に出てきた少年の名を夢喰らいは呟いた。
 夢喰らいたちから離れた所に立つレスターは小型の魔法陣を展開していた。
 それは詠唱不要の高速起動型射撃魔法だ。
「成せ、光の槍!」
 レスターの周囲には射撃魔法の発射体である光球が瞬き間に形成され、展開する。
 数はすでに十数個。
「って!」
 トリガーを発し、射撃魔法は発動する。レスターの光の槍は並の魔導師相手であれば防御魔法を展開していようが構わず撃ち抜く一撃必殺の威力を持つ。
 光球はその光の槍と化して、惜しみなく撃ち放たれ、夢喰らいを目指して高速飛翔する。
 まずい。
 そう感じ取った夢喰らいは撃たれた光の槍を避けながら、弾き飛ばされた大剣を拾って走る。いくら威力を持とうが光の槍の軌道は直線的である。確かにその速さはやっかいであったが、避けられない速さではなかった。そして、これは牽制だと判断し、夢喰らいは避けながら次の攻撃を警戒していった。


「ドゥールさん、しっかりするですぅ!」
 ルーシィはうずくまるドゥールの肩を持って揺らした。しかし、ドゥールは耳を塞いだまま返事をしない。レスターが光の槍を撃っていたのは牽制の意味もあるが、夢喰らいをセレナやドゥールから引き離すという目的を持っていた。夢喰らいもそれに気がついたが、すでに用済みのドゥールに興味はなく、今は目の前にいるレスターに集中している。
 目的は見事に達成され、ルーシィは難なく2人に近寄ることができたのだが、彼はその場から動こうとしない。ドゥールの目からは止まらぬ涙が流れ、嗚咽する声がもれている。そして、自分の手で抱えた体は小刻みに震えている。
 ドゥールは心の痛みを感じていた。夢喰らいの言葉を一言聞くたびに心が抉られていった感覚を受けたのだ。あの願いは誰にも言うことはなく、自身の心の中だけにしまった願い。きっと叶うことはないと思っていた願いのはずだった。だから、思うだけ。そんなことになればいいなと思うだけだった。あの少年、レスターが現れるまでは。


 ドゥールがレスターを初めて見たのは大会初日のことだった。彼は開幕式で歌うセレナを見に会場へとやってきていた。
 開幕式が始まり、セレナの登場に会場中が沸く。多くの人が歓声を送る中、ドゥールもセレナに対し、手を大きく振った。心のどこかでこっちを見てくれと願いながら。
 彼女の歌は相変わらず素敵で心に届く。皆がその歌を聞き、胸に込み上げてくるモノを隠すことなく、大変な盛り上がりをみせていた。
 セレナが去ってもその興奮は止むことなく、会場は盛り上がったままだった。
 そして、人数を大幅に減らすために行われるバトルロワイヤルが開始された。
 この予選の最初に行われるバトルロワイヤルは1度にまとめて行われるため、いくつもの会場に分かれて行われる。この決勝トーナメントで使われる本会場でも他の会場と同時にバトルロワイヤルが開始された。
 そして、ドゥールが観戦していたバトルフィールドの中、1人舞を踊る少年がいた。
 その舞は美しく、闘いの場には不釣合いなものだった。
 しかし、同じバトルフィールドのバトルロワイヤル参加者はその舞の中に巻き込まれ、次々に倒れていく。そして、その舞が終わりを迎えた時、フィールドに立つのは少年ただ1人だけだった。
 会場にいる者はその光景に魅了されて、ただ静かに観戦し、会場アナウンスの勝利者宣言と共に歓声が沸いた。ドゥールもまた、他の観客と同じく強い拍手を送った。
 それからドゥールはその少年、レスターの試合を見続け、1試合見るごとに膨れる想いがそこにはあった。
 彼のような強さを求める想いが次第に膨らんでいき、セレナとの関係を羨み、そのような関係を求める想いもまた止まらなく膨らんでいった。同時に切なく、悲しく、苦しくなるモノも膨らんでいった。
 だって、この願いは叶わない。なのに、止めることも出来ず膨らみ続ける。
 彼のように強くなるためにはどうすればいい?
 彼女と親しくなるためにはどうすればいい?
 ――わからない。
 だというのに、願う。彼のように強く、彼女と親しくなりたいと――。
 その悩みが形になっていくのが自分自身でもわかった。
 ルーシィという少女と出会い、ドゥールはそれの名が悪夢だということを知った。
 ドゥールは思う。
 悪夢……オレの願ったモノの形が悪夢? 悪い夢だったというのか?
 ……確かに悪夢かもしれない……オレの心をこれほど苦しめたのだから。
 そして今、その悪夢はドゥールの前に現れ、ドゥールの心を抉り、苦しめている。
 逃げたい。ここに留まるとこの苦しみがより一層オレを苦しめる気がする。
 ドゥールは思い、辺りを見回す。
 周りには何もなく、倒れていたセレナも自分へと歩を進めて歩み寄った夢喰らいもいない。あるのはどこまでも広がる大地と光の溢れる閉じられた扉だけだった。
 ドゥールは立ち上がり、光が溢れる扉へと走った。
 あそこに行けば、あそこに行けば、逃げられる。逃げられるはずだ。
どこにそんな根拠があったのかはわからない。しかし、ドゥールはその扉まで走り寄り、扉を開けて入っていった。


 ――キィン!
 少女の夢世界で大太刀と大剣が弾き合う音が響き渡る。
 夢喰らいはしばらく光の槍を回避し、レスターがしてくるであろう次の攻撃に備えていたがレスターは光の槍を撃ち続けるのみだった。しかし、その代わり映えのしない攻撃だけを避けているのに飽きた夢喰らいは後手に回るのをやめ、自身の持つ能力である夢結晶を使い、先手を取ることにした。
「っあ!」
 夢喰らいはすでに見切った光の槍を避けながらレスターの眼前に飛び出ると気合一閃、レスターへと斬りかかった。
「っは!」
 しかし、レスターは夢喰らいの縦に大剣を振り下ろしてくる攻撃を軸に回転しながら避けて脇腹へと大太刀を斬り込んだ。
 斬り込まれた夢喰らいは上半身、下半身と真っ二つになり、砕けて散っていった。
 そして、砕け散った結晶でまだ晴れぬ視界の先より大剣を突き出し、突進してくる夢喰らいの姿があった。レスターは驚くことなく、その夢喰らいに反応して先ほどの回転と逆に回転して避け、背中から斬り捨て、同じく真っ二つになった夢喰らいは砕けて散っていった。しかし、夢喰らいは再度姿を現しレスターを切り殺そうと襲い掛かってくる。だが、レスターは向かってくる全ての夢喰らいを返り討ちにしていった。
「っあああ!」
 レスターは手にする夜天の力を解放させながら、次々に現れてくる夢喰らいを斬り倒していった。夜天はレスターの意思により現在は大太刀の形をしている。大太刀の刃は美しく光り、刃こぼれなく鋭い切れ味を誇る名刀と化している。
 しかし、その刀舞にいつもの美しさは皆無だった。夜天の力が解放されていくごとにそれに同調し、扱うべきレスターが力に翻弄されていっている。
「はっ! った! っあああ!」
 一太刀を振るうごとにその太刀筋が荒く乱暴なモノへと変わっていく。心に生まれた動揺を隠すことなく、怒りを前面に出しながら一太刀、一太刀が振るわれていく。
「セレナを! セレナを!! セレナを!!!」
 怒りに任せた一太刀が夢喰らいを乱暴に斬り捨てていく。砕けて出来た結晶が消え去る前に次々と斬り捨てていき、視界は完全に結晶による霧と化していた。それでも見えぬ視界を構わずにレスターは大太刀を振るっていく。レスター自身の動きは素早く、感覚は研ぎ澄まされ、近くに感じる悪意目掛けて荒れた一太刀を放ち続けていく。しかし、その姿は特攻の如く。1度止まれば、終わってしまうというそんな印象を抱かされる。
 この夢世界に到着したレスターが最初に目にしたのはセレナの倒れている姿だった。
 その時からレスターの心にわずかな動揺が生まれ、戦いに乱れが生じだしていた。
 最初は牽制のつもりで撃っていた光の槍もただただ夢喰らいに当ててやろう、仕留めてやろうと魔力を上手く練りこまずに無闇な連射をし、他の魔法を使おうという考えも浮かばずに光の槍だけを使った結果、単調なモノになり、レスターの間合いまで夢喰らいを近づけることを許してしまった。
 時間が過ぎていくにつれ、比例するようにレスターのうちに動揺が広がり、怒りが増長し、それが太刀筋にも表れていった。
 そして、また1体の夢喰らいを真っ二つにし、残すは本体のみとなった。
 夢喰らいは地面へと座りこみ、そのレスターの戦い様を嬉しそうに眺めていた。
「オマエ、いいな。オレの中にあるオマエのイメージとは大違いだ。だが、オレは今のオマエのほうが好きだぞ」
 そう言ってけらけらと笑っている。そんな言葉にレスターは耳を貸さず、座っている夢喰らいへ向けて、左手を突き出し詠唱不要の光の槍を発動させた。
「成せ! 光の槍!」
 その言葉に反応し、レスターの周囲に5個の光の球体が展開する。
「って!」
 トリガーは引かれ、光の槍が夢喰らい目掛けて高速直線飛翔で撃ち放たれた。
 夢喰らいは素早く立ち上がり、その軌道上からわずかに体を外した。
 そこへ光の槍と共に飛び込んできていたレスターが大太刀を横一閃。
 それを夢喰らいは後ろに飛び、交わそうとする。
 が、レスターの踏み込みは深く追いつかれ、
「っはあ!」
 その気合いと共に放たれたレスターの一閃は体勢をわずかに崩した夢喰らいの首へと斬り込んでいった。
 決まった。このまま、首を落として勝負は終わる。
 と。確信と共に放たれた大太刀は首を斬り抜くことができず、首をわずかに斬った所で止まってしまった。
「なっ!?」
 レスターが短い驚きの声を上げ、このままではまずいと思った時には頭を鷲掴みにされ、地面へと叩き付けられた。
「がっ、はっ!?」
 意識が一瞬飛び、痛みで再び目を覚ます。持ち上げられ、宙吊りにされたレスターのぼやけた視界には口の端をつり上げ笑う夢喰らいが映った。
「残念。よかったが、オレの首を斬り落とせないなんて単純な力不足だな。何があったか知らないがオレの中のイメージのオマエならオレの首を落とせただろうに。そんな荒れた太刀筋じゃロクに力もその武器に伝わるまい。もったいないな。それからはすごい力を感じるというのに。全然力を扱いきれていない。ああっ、本当に残念だな」
 夢喰らいは鷲掴みにしたレスターの頭を自分の顔に寄せ、視線を合わせて詠唱する。
「――土足で踏み込む観察者。掘り下げ探す探検者。それを眺める傍観者」
 その詠唱を発し終わる時には年月が風化させ、ぼやけていたレスターの中にあったある記憶が形を成し、はっきりとした記憶は現在進行形の出来事として流れ始めた。
「あっ……がっ、あっ」
 夢喰らいはレスターの頭を放し、静かに落ちていくレスターを見て笑う。
 レスターは膝を折り、視線は虚空を見つめ、眼の焦点が定まず、涙が休まず流れる。
 眼に映るのは今は無き故郷。その最期を迎えた日の出来事がエンドレスに流されていく。
「や、めろ! やめて、くれ!」
 夢喰らいはレスターの悲痛の叫びに震える自身の体を両腕で包み、恍惚する。
「ああっ、なんていい声で歌うんだ。たまらない、たまらないな、レスター!」
 しかし、レスターはその声に気付くことなく悲痛の叫びを上げ続ける。
「そうか、オレの声が届かぬほどに満足してくれたのか。どれ、オレもオマエの記憶を鑑賞して楽しむとしようか」
そう言うと先程詠唱した際に現れた豪奢な椅子に腰掛ける。
 すると目の前には巨大なスクリーンが現れ、映写機には苦しみ喘ぐレスターが閉じ込められた。そして、映写機は動きだしスクリーンにレスターの記憶が映し出されようとしていた。
「さあ、オマエが苦しむ悪夢とやらを拝ませてもらうとしようか」
 そう映写機に閉じ込められているレスターへと笑いながら話しかけた。


 ドゥールは走っていた。いや、逃げていた。
 光の溢れる扉を開け、そこにあった入り組んだ道を止まることなく逃げ続けた。
 だが、息はだんだん荒くなっていき、大きく振っていた腕はだんだんと振り幅が小さくなり、力強く地面を蹴っていた足にも力が入らなくなっていった。
 走るのがつらくなっていく。止まりたいという衝動に駆られる。
 だけど、止まるわけにはいかない。振り返るわけにはいかない。
 しかし、もうどれほど走ったことか。未だに出口は見つからない。
 光が溢れていたのに今はその光が目障りに感じる。
 これは希望の光ではなかったのか?
 オレの心をどうにかしてくれるであろう希望の光ではなかったのか?
 そう光に対して問いただした。
 しかし、光は眩しく光っているだけで答えてはくれなかった。
 一体どの道を進めばいいのかとドゥールは考える。
 左か、右か、それとも前か、どの道を?
 誰か答えてくれ。オレはどの道を行けばいいのか。
 しかし、誰も答えてくれない。誰もいないから。扉の先のこの場所には誰もいない。
「……もう、いいか」
 ドゥールは走るのをやめ、歩くことにした。
 だって、ここはたぶん、ヤツがオレに見せている悪夢だろうから。
 逃げ出したと思った先であるここはオレの想いが形になったモノ。
 どうすればいいのか、どちらに進めばいいのかわからないオレの悩みが形となった迷路。
 だから、逃げてもここからは逃げられない。
 出口はオレの悩みが解決した時。そのきっかけが見つかった時だろうか。
 だから、今はここからは逃げられない。今はまだ見つかっていないから。
 でも……いつかは見つかるのだろうか? それはいつなんだろうか?
 それにそのきっかけとはなんだろう?
 ――案外、あっさり見つかるものかもよ。
「えっ?」
 そんな声が聞こえた気がした。しかし、辺りを見回しても誰もいない。
「空耳? …………いや……聞こえる。これは……セレナの歌?」
 眼を閉じて、耳を澄ますとどこからともなく歌が聞こえてきた。
 それは起伏の少ない静かな歌だった。しかし、それはとても優しく温かい小さい頃に聞いた子守唄のようだ。その歌は優しくドゥールの心を包み込んでいく。心は次第に安らいでいき、心が落ち着いてくのがわかる。そして、ゆっくりと眼を開くと、
「……あれ?」
「お目覚めはいかがかしら。ドゥールさん?」
 セレナの笑顔がドゥールの顔を上から覗き込んでいた。
「……セレナ? あれ、ここは? って、膝枕!?」
 ドゥールは慌てて起き上がり、激しく鼓動を打つ胸を押さえた。
 辺りを見回すとセレナの夢世界にいることがわかる。どうやら先ほどまでいた場所から抜け出せたようだ。
「ドゥールさんが唸っているのを見て、ルーシィちゃんが『これは悪夢を見ているのですぅ』って言うから、せめていい夢を見れるようにって子守唄を歌ったのだけど、お目覚めのご気分はいかがかしら?」
「……うん、なんとか。セレナの歌が聞こえてきて落ち着くことが出来たよ。ありがとう」
「そう、それはよかったわ」
「それよりセレナ、君は大丈夫なの? 気を失っていたようだけど」
「えっ? ああっ、あれはただ気を失ったフリをしていただけよ。不意打ちでも仕掛けようとしていたらレスターやルーシィちゃんが来て、タイミングを逃したけどね。あっ、お礼を言ってなかったわね。助けてくれてありがとう。ドゥールさん、カッコよかったわよ」
「カッコいいだなんて、そんな。あっ、でも、それじゃあ、あっ……その」
 ……きっと聞かれていた。自分の悪夢がどんな内容なのかを。オレの心のうちを知られてしまった。……あっ、まただ。また心が痛み出してきた。だんだんと、いや、じわじわと痛みが広がっていく。でも、それを聞いてセレナはなんて思ったのだろうか? ……いや、聞かないでおこう。聞くのが怖い。
「ん、何?」
「えっと、歌を歌っても大丈夫だったの? だって、すぐそこに夢喰らいがいるのに」
 目の端で映ったなにやら何かを鑑賞している夢喰らいを指差して訊ねた。
「あの夢喰らいはあのスクリーンに映っているモノを見ているときはそれに集中しているみたいで気づいていないみたいね。まあ、気づかれれば気づかれたで対処は考えていたから別にそれでもよかったんだけどね」
 そう夢喰らいを見ながらセレナは答えた。
「あの映写機があるでしょ? あれにレスターが閉じ込められているのよね。まったく、油断しているからあんなことになるのよ。まあ、倒せなかった私が言うのもなんだけど」
「レスターが……オレのせいであんなことに。いや、レスターだけじゃない。今回の出来事は全てオレのせいだ。オレが想った……願いのせいで」
 そんなドゥールの姿を見て、セレナはやれやれといった顔でドゥールの方に向き直る。
「もう、ドゥールさんにも困ったものね。すぐに落ち込んでもすぐに立ち直るのがドゥールさんの良さだと思っていたのだけど、勘違いだったかしら? 気になるのもわからないわけじゃないわ。でも、起きた出来事をどうこう言っても仕方がないわ。それよりもその後どうするかよ」
「その後、どうするか?」
「そう。まあ、どうするかはドゥールさん次第だけど、ね」
 そう言ってセレナはトンとドゥールの肩を叩き、笑顔を見せる。
「……オレ次第」
 その笑顔を見ながらドゥールは呟き、その言葉を確認し、繰り返し呟く。
「セレナ――」
 そして、思った。今、ここで告白しよう、と。
 唐突な告白だと思われるかもしれない。いや、きっと思われるだろう。
 何もこんな状況でとか思われるかもしれない。
 なにせそう思い立った自分自身に驚いているくらいなのだから。
 でも、セレナがトンと肩を叩いて、1歩踏み出すきっかけをくれたその勢いがあるうちに言わなければ、もう2度と言えない気がした。もし無事に明日を迎えることがあったとしてもその間に決意が揺らぐ。そんな想いがセレナの笑顔を見ていて、ドゥールの中で一気に膨れ上がった。だからなのか、その衝動を抑えられず、言葉はごく自然に口から出た。
「――好きだ。オレはセレナのことが好きだ」
 その言葉を言った後、心臓の鼓動は速く、だんだんではなく急激に顔の体温が上がっていくのをドゥールは感じた。それでも、セレナの目を逸らすことなく見続けた。
 飾る言葉は思いつかなかった。ただ、好きだというその言葉しか口から出なかった。
 だが、ドゥールにとってそれで充分だった。
 何も飾ることはない、伝えたいのはその言葉だけだったのだから。
 でも。
「……ごめんなさい。その想いに応えることはできないわ」
 望んだ結果にはならなかった。
「……そう。そっか……」
「その気持ちはとても嬉しいわ。面と向かって、真っ直ぐに私が好きだと言ってくれて」
 ドゥールには伝わる。セレナが想いを受け止めて、それで出してくれた答えだと。
 頬を少し染めて、照れながら言うそんなセレナがとても可愛くドゥールの眼に映った。
「……言ってよかった。その笑顔が見れて、その言葉を聞けたんだから」
 でも、胸が痛い。それがフラれたことに伴う痛みか。だけど、どこかスッキリした気がする。心に溜めて、はけ口のなかったこの想いを告げることが出来たからだろうか。……なら、よかった。それは自分が1歩踏み出すことが出来たということだから。
セレナ……オレは、オレは君を好きなってよかったよ。
「じゃあ、私は行ってくるわね」
 ポンとドゥールの肩を叩き、セレナはドゥールに背を向けた。
「……うん、頑張って」
 それに手を振って応えたセレナは何かを思い出したように立ち止まって振り返った。
「あっ、そうそう。あなたのセレナーデ、とても素敵だったわ。聴いているこっちが恥ずかしくなるくらいにね」
「なっ!?」
 その言葉はドゥールにとって衝撃の言葉だった。告白で赤くなっていた顔や耳が一気に真っ赤に染まるのがわかった。まさか聞いているとは思わず、いや、聞いてもらいたい、届いてほしいと思いながら想いを込めて歌っていた。
 だから、その言葉はすごく嬉しくも恥ずかしいモノだった。
「願わくば、その歌が次の想い人に届くことを」
 セレナはその言葉を残し、その場を離れ、ドゥールは小さくなっていくセレナの後ろ姿を見続けていた。
「……完全に蚊帳の外だったですぅ」
 2人のやりとりを黙って、いや、口をはさむ雰囲気ではなかったので黙るしかなかったルーシィがそう呟いた。


 映写機は音もなく回り、スクリーンには取り込んだレスターの悪夢を映像化している。
 どうやらこの夢喰らいにとって好きな部類の悪夢だったらしい。
 後で食す悪夢の味を想像しながら、何の警戒もなしに楽しそうな顔で映像に見入っていた。それは今、この場に鑑賞を妨害できるほどの力を持った者がいないと判断したことからの無警戒さがそうさせる。
 だからだろうか、セレナの接近をあっさりと許してしまったのは。
 夢喰らいがそのことに気がついた時には豪奢な椅子から吹き飛ばされた後だった。
 豪奢な椅子から離れると椅子、スクリーンに映写機は形を失い、塵となって消えていき、その場に残ったのは気を失っているレスターだけだった。
「――追いかけるのはどこの誰? 迷子になるのはどこの誰? 優柔不断は命取り。少女は迷路で捕まえて」
 詠唱終了と同時に夢喰らいの視界に映る光景はひび割れ、ずれた。そのひび割れた光景は崩れ落ち、混ざり合う。はっと気がついた時には、いつの間に目の前には高い壁が立ち、狭い石造りの道に立っていた。
 その道にはセレナとレスターの姿はなく、夢喰らいただ1人。
 その2人がいた場所と夢喰らいのいる場所の間には高い壁が立ちふさがっている。
 夢喰らいはその壁を大剣で叩き割り、道を無理やり作った。しかし、その先にはすでに2人の姿はなかった。
「くそっ!」
 夢喰らいは作った道をくぐり、2人を駆けて追った。しかし、なかなか追いつくことが出来ない。セレナ1人ならともかく、レスターを連れてとなるとそれほど素早い動きが取れるとは考えられない。にも関わらず、実際には追いつくことができずにいる。
「あっちにいったよ」
「いや、こっちだよ」
「おいおい、冗談言ったら可哀想だろ? こっち、こっち」
「何言ってんだ、冗談はオマエの顔だけにしとけって。あっちが正解さ」
 狭い道を照らすため、壁にかかっているランプたちが口々にあっちだこっちだと騒ぐ。
 耳障りだからと壊していたら、追いつけないため気にはなったが無視して進む。
「……通り過ぎたよ」
 夢喰らいが通り過ぎ、ある程度の範囲を離れるとランプはセレナへと伝える。そんなランプが話す夢喰らいの現在地などの情報を聞きながら、セレナはレスターを起こし続けた。
「……え?」
 まだ意識がはっきりしていないのか目覚めたレスターが目に映るセレナを見て、不思議そうに呟く。
「ん、目が覚めたみたいね」
「……セレ、ナ?」
 横たわっていた体を起こし、目の前にいる少女の名前を呼んだ。その少女の存在を確認するように。
「うん、何?」
「生きていたのか?」
 そう。レスターは思っていた。この世界に到着した時、動かぬセレナを見てもうすでに命が途絶えているのだと。大切な家族を再び失ってしまったと思ったことによって、生まれた動揺と怒り。
「勝手に殺さないでくれない」
 セレナは微笑み、レスターの額をトンと小突く。その額に触れたセレナの手の感触や温もりを感じ、レスターはそれが勘違いだったということに安心した。
「そう。よかった」
 セレナの微笑みにつられ、レスターの顔にも笑みができる。
「でも、そろそろ意識が飛びそうだわ。後はよろしく――」
 言い終わると同時にセレナは崩れ、意識を失う。魔力を空になるまで使い、その上で無理な使用をした結果、反動で意識が飛んだようだ。そして、魔力供給の断たれた迷路は崩れて消えていき、起き上がったレスターの視界には夢喰らいが映る。
「うっ……」
 映写機に入っている時に体力を奪われたのか立ち上がっただけで体がふらつく。そして、夢喰らいの殺意に満ちた顔を見て、先ほどまで見ていた悪夢が脳裏をよぎる。それは忘れることはないであろう悪夢。しかし、時間がその悪夢の記憶を薄れさせ、だんだんと形を無くしていった悪夢。それを再びしっかりとした形で蘇えらせた敵へと鋭い視線が向けられた。そこにあるのは敵意。そして、より強くあるのは自身への怒りだった。
 体はふらつくが意識は鋭敏。体と精神の反応速度の誤差が開いていく。しかし、そんなもどかしささえ凌駕して戦意が加速していった。その戦意を向けた先、殺意でもって返す夢食らいが本体を含め、数にして5体ほど立っていた。先ほどの戦闘の際、出てきた夢結晶の数は100体近くだった。ただ今回は練る力が比較にならないほど高い。前回の夢結晶が量なら今回は質だということか。本来ならば、その夢結晶を倒すのも問題がなかっただろう。だが今は、体力を大幅に削られ立っているのもやっとの状態だ。しかし、レスターに不安はなかった。
 戦意の加速と比例して、体に流れる血が燃えるように熱くなる。激しく脈打つ心臓の鼓動が聞こえてくる。呼吸は乱れ、荒くなる。自身が自身へと呼びかける声がする。
 ――闘え、ヤツと。消し去れ、ヤツを。
「うおおおおっ!!」
 体の衰弱とは関係なしに内に溢れ出した魔力が留まることを知らず、外へと溢れ出る。
 その叫び声へ応えるように大中小と様々な魔法陣が展開する。しかし、詠唱を始めだすのと同時に夢喰らいたちは動き出し、大剣を振るい、レスターへと襲いかかってきた。だが、その大剣が届くことはなかった。攻撃各種の防御魔法が幾重にも張られた複合多層式防御魔法によって、大剣による攻撃は阻まれた。
「!?」
 そして、両手足に光の鎖が強く巻きつき引っ張られ、空中で磔にされる。その磔から逃れるために鎖を砕こうと暴れ動いたが、そんな彼らをよそにレスターは休むことなく詠唱を続けた。
 詠唱の言葉は覚えていた。イメージもまた問題なく行うことが出来る。なぜならば、それは体に心に魂にと刻まれたモノだから。考え込むことなく、自然に口から流れるように詠唱の言葉が発されていく。そして世界は歪み、闇が一瞬にして世界を包み込む。
 はっと気がついた夢喰いはその世界にただ1人存在していた。辺りに夢結晶で生まれた分身体の気配はなく、あるのは何もない全てが闇に覆われた世界だった。
 その世界で夢喰らいは足が地にあるのか、天にあるのか分からないでいた。
 そして、自身の存在さえ希薄で曖昧。目を閉じて闇なのか、開いて闇なのか分からない。
 そんな世界に一点の光が灯り、あるのか分からない眼がそちらを向く。
 そして、その光が灯ったのを合図に世界は姿を変えていった。
 その光を中心にし、波打つ波紋のように光の点が世界に広がっていく。
 気がつけば、そこは夜空の中。
 いや、自身の重みを感じず漂っているのならここは星の外かもしれない。
 数えきれない数、無数に輝く光の点、それはまるで空に輝く星のように光の大小強弱各色をつけ、存在する。
「――告げる願いは無への還元」
 音のなかった世界に姿を見せた声。
 それは耳元で囁かれたように近く、視界の端にすら映らない遠くから聞こえる小さな叫び声のようにも聞こえる曖昧な声。
 しかし、不思議なのは闇に溶けゆく自分の耳かもしれないと思う。
「――担い手は星に願いを」
 その声に星たちが答えるように光を増す。
 それが一瞬まぶしく感じたがおろす瞼も眩しく感じる眼もないというのに なぜ眩しく感じたのかと思わず笑った。
「――導き手は流れる星に」
 そして、笑い歪める口さえないことに今更ながら気がつき、ない口をさらに歪め、失われた声で高笑い。
 その声もどこか曖昧。
 いや、そもそも声という存在がここにあったのだろうか?
「――塵逝く体は星屑に」
 嗅覚もない。
 というよりもそのようなモノがあったのか存在が希薄になっている。
 ニオイとはなんだ?
「――魔力を纏いて星と化せ」
 もう何がなんだか分からない。
 しかし漠然と今いるこの世界が美しく感じる。
 ただ、もうすぐ己が無くなる、それはなぜかハッキリとしていた。
「――我が名において終焉を告げる! 実存の縛りから解き放ち、永遠の束縛をここに!」
 その願いを星たちは受け入れ、願いを叶えようと光り輝く。
「夜天翔ける無限の光輝星群!」
 複数の小さな星が光速で翔け抜け、夢喰らいを貫いていく。
 貫かれた箇所は貫いた星と共に散って逝く。
 この世界の異物である彼は激しくも美しい流星群によって、形を失った。
 最期に、この美しい世界を心に焼きつけて――。
「永遠にさよなら。そして、よろしく」
 それに応えるように新たに生まれた星が光り輝いた。


 明るい。
 そう感じたレスターは自分が眠りから覚めたことに気がついた。
 眼を開けると光が部屋に満ちている。すでに太陽はだいぶ高い位置にあるようだ。
「おはよう、レスター。お目覚めの気分はいかがかしら?」
 顔を動かして、声の主に顔を向けるとそこには横たわるレスターと同じ目線、ベッドの脇に座り込み、優しく左手を握っているセレナの顔があった。
「おはよう、セレナ。気分は……最悪だ」
「最悪?」
「ああっ、最悪だ」
 セレナへ向けた視線を再び天井へ戻し、ぽつり呟くように話し始めた。
「……ぼやけていた。あんなにつらかったのに……あんなに苦しかったのに……自分と誓ったはずなのに。忘れていたわけじゃない。でも……」
 意識がハッキリしてくるに従って、右手に力が入っていく。その強く握った手にシーツは巻き込まれていった。そして、体にしまいこんでいた想いが溢れ出す。叫ばずにはいられなかった。内に在るモノは留まることを忘れ、自身の中で暴れ動く。その想いを外に出さなければ止まらない。内に留めようものなら内から壊れていく。息を吸うという行為を忘れ、息が続かなくなってはむせ、そしてまた言葉が溢れていった。
 どれくらいの間、言葉が溢れ続けただろうか。言葉はようやく止まり、息の乱れは整っていき、喉の渇きを感じ始める。
「はい、お水」
 先ほどまで黙ってレスターの言葉を聞いていたセレナは空いている右手でベッド脇のサイドテーブルに置かれていた水を入れたコップを取って差し出した。
「……ありがとう」
 重い体を起こし、それを受け取って飲み干すとセレナへと返した。
「……あの夢を見ていたのね」
 静かに立ち上がったセレナはベッドに座り、そっとレスターを優しく包み込むように抱き寄せる。レスターも何も言わずその中に包まれていった。そして、静かに眼を閉じる。
 伝わるのは彼女の柔らかな温もり。脈打つ鼓動が心地良く、優しい香りが心を落ち着かせる。昔もこうやって優しく抱きしめてくれたな、と幼き自分と彼女の姿が頭に浮かんだ。
 そう。あの時だって、彼女は側にいてくれた。彼女だけではない。ソルトも新しい父と母もみんなが側にいてくれた。だから、今の自分がここにいる。もしみんなと出会わなかったら、僕という存在はここにはいなかっただろう。きっとぼやけていたのはみんなのおかげだ。つらかった、苦しかったあの出来事を忘れることはできない。でも、それを抱えてもやっていけると思えた。そう、みんなのおかげで。
 レスターの中で色々な想いが巡っていく。目覚めに感じた最悪の気分が薄れていくのを心に感じていった。同時に心地良さからか、再び眠気が体に満ちていく。
「ん、落ち着いたみたいね。今はゆっくり眠るといいわ」
「うん、そうするよ。おやすみ、セレナ」
 おやすみなさいのキスを額に受け、レスターはゆっくりと横たわった。
「おやすみなさい、レスター。きっと素敵な夢が見れるわ」
 優しく微笑むセレナの顔を見ながら、レスターの瞳は閉じていく。
「……そうだね。僕もそう思うよ……」
 レスターは静かに眠りへ就いた。優しい温もりを放さず、手に繋いだまま。
次に進む | 目次に戻る | トップに戻る | 掲示板へ | web拍手を送る
Copyright (c) 2006 Signal All rights reserved.
  inserted by FC2 system