『思緋の色2』

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  プロローグ「教育係が現れた日」  

「4月9日、朝。柔らかく甘い感触を口に受け、優しさが香り、僕は目を覚ます。どうやら僕はあかねちゃんの口付けで目を覚ましたようだ。口付けで目を覚ますなんて僕はどこぞのお姫様のようだね。本来ならば逆の立場だな、と笑ってしまう。よし、ならば明日は愛しの姫に目覚めの口付けをしに参らねば。待っていてね、あかね姫。君の王子が白き馬と共に君を向かいに行く。そして、婚姻の契りをそこで――」
「……」
「――あれ、夢だったのかな? ……残念だ。残念? そうか、残念なのか。昨日はあんなことを言ったけど、僕はどうやらあかねちゃんのことが好きで好きで仕方ないようだ」
「……あの、あかねちゃん? ヒトの耳元で何しているの?」
 僕が目を覚ますとあかねちゃんは僕の耳元で何やらブツブツと呟いていた。
 しかも、僕の声色に似せて。
 そのたびに耳へかかる息がくすぐったい。
 それを避けるように僕は上半身を起こして尋ねた。
「おはよう、コタローくん! 朝食の用意ができているよぅ!」
 目覚まし代わりの元気な声と太陽のように明るい笑顔。
 そして制服にエプロン姿のあかねちゃんは僕の質問を吹き飛ばし、僕の両腕を掴んで起こそうとする。
が。
「きゃっ!」
「うわっ!?」
 あかねちゃんの引っ張る力が強いのか、僕が予想以上に軽いのか。
 まあ、限りなく前者が正解だろうと思うけど。
 引っ張る対象者だった僕と引っ張ったあかねちゃんの力のバランスが大きく差があったようであかねちゃんは後ろに転び、僕はあかねちゃんに覆い被さるように倒れた。
「失礼します」
 その絶妙ともいえるタイミングで大学生くらいの女性が部屋をノックして入ってくると僕たちを見て固まった。
 誰だろう、この人? にしても……美人だな。すらりと背が高くってモデルさんみたいだ。って、魅入っている場合じゃない! 僕は思った。このヒトの眼にはあかねちゃんを押し倒した、かのように見える僕と僕に押し倒された、かのように見えるあかねちゃんという風に見えているんじゃないかな、と。
「あの、これぶはぁ!?」
 い、痛い……。
 僕はこの素姓の分からないヒトに誤解をされるのもどうかと思い、事情を説明しようとしたけど失敗に終わった。
 なぜなら、説明をしようとした僕をあかねちゃんから引き離すように壁へ投げ飛ばされたからだ。
 なんだか昨日から負傷してばかりだ。よく今も無事でいられるな、と自分に感心する。こんな丈夫に生んでくれた今は亡き母さんに感謝の言葉を告げたい。ありがとう、母さん。
「大丈夫ですか、あかね様?」
「うん、大丈夫だよぅ、桔梗さん。でも、コタローくんにその……」
 桔梗さんと呼ばれた女性に起こされながら、あかねちゃんは先ほどのことを思いだして頬を染める。
「だから言ったでしょう。寝起きにあかね様の制服にエプロン姿を見たらコタロー様は限りなくゼロに近い理性を抑えることができず、欲望の赴くままに襲ってくると」
「私はそれでもよかったのに……」
「いやいや、2人とも何言っているの。事故だから、事故」
「冗談ですよ。コタロー様がそのようなことをされないのはわかっています。なにせ根性なしですから」
 クス、と口に手を添えて笑っているけど、冗談で僕は壁に叩付けられたのか?
 そして根性なしって……。
 そんな僕の視線を気にせずに桔梗さんは手をパンパンと叩き、あかねちゃんを部屋の外へと促した。
「さあ、朝食にしましょう。あかね様、コタロー様が着替えるから部屋を出ましょうね」
「そうだね。じゃあ、コタローくん、先に下へ行っているよぅ」
 あかねちゃんは小さく手を振ると部屋を出て行き、続いて桔梗さんも軽く頭を下げ出て行った。
 僕はしばし出て行ったドアを見てから、
「……とりあえず、着替えよう」
 理不尽さを感じながらも僕は制服に着替えることにした。
 あっ、その前に顔を洗いに行こう。


「おはよう」
 部屋に入ると美味しそうな香りとみんなの挨拶が出迎えてくれた。食卓にはすでに料理が並べられ、席には父さん、桔梗さん、あかねちゃんが座り、僕が来るのを待ってくれていたようだ。
「お待たせ」
 僕が席に座り、「いただきます」と皆で朝食を取り始め、歓談しながらの朝食中、父さんが桔梗さんの紹介をしてくれた。
「彼女は望月桔梗さん。あかねちゃんの教育係だ。最初は桔梗さんの母親が乳母としてあかねちゃんを育てていたのだが、年の近い者もそばに必要だと考えたあかねちゃんの父親はその役目を桔梗さんに与えたのだよ」
「だから小さい頃から一緒で、私にとって桔梗さんはお姉さんのような存在なんだよぅ」
「嬉しいです。私もあかね様のこと、妹のように思っていますよ」
 お互いに微笑んでいる2人を見ると本当の姉妹のように見えてくる。
 とても仲が良さそうだな。
「そして今日から我が家に住み、コタローの教育係も兼任してくれるそうだ」
「へえ……。えええっ!?」
「そんなに喜んでもらえると私も嬉しいです」
「わーい、コタローくんとおそろいだぁ!」
「いや、ちょっと待って! というか、待て! まずおそろいって違うから! 次に申し訳ないですが、喜んでいません! そして、父さん勝手に決めるな!」
「コタロー、照れ隠しは十分だ! 本当は『どうしよう、こんな綺麗な教育係が来るなんて! 一体どんな教育をされるのかな? オラ、ワクワクしてきたぞ!』と思っているのだろう! オマエの考えなど父さんは全てお見通しだ!」
「貴様は自分を再教育しろ!」
「コタローくんの浮気者!」
「ええい、そんな右ストレートが効ぐわるばがっ!?」
「さすがあかね様です。幾重ものフェイントがコタロー様に幻の右ストレートを見せましたね」
「うむ、見事だ! それに比べて情けないぞ、コタロー! やはり、再教育が必要だ。頼んだよ桔梗さん。これにて朝の話し合いを終了とする! ご馳走様でした!」
「ちょ、ちょっと待てって、もういないし!?」
幻ではなかったボディへの一撃で受けたダメージを引き吊りながら立ち上がったその先に父さんの姿はすでになかった。
 なんだろう、このパターンは。
「……ご馳走様でした」
 僕は父さんに理不尽さを覚えながらも、しぶしぶ自分の食器を片付けて学校へ行くことにした。
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