『思緋の色』

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  プロローグ 「僕の許婚」  

 4月7日、高等部入学式当日の朝。
 僕は真新しい高等部の制服に着替えて部屋を出た。リビングへと続く廊下を歩いていると窓から入ってきた風が心地良く頬を撫でて通り抜けていく。そこに春を感じて、改めて新生活が始まることを実感した。
「おはよう」
 廊下からリビングに繋がる扉を開けて入る。そこにはいつもと変わらずに父さんがいて――
「と、おはようございます」
 ――その隣に女の子が座っていた。
「おはよう、コタロー。朝食前に話がある。そこに座ってくれないか」
「うん」
 僕は父さんに促され、2人が座るソファーの向かいに椅子を置いて座った。
 誰だろ、この子?
 着ている制服を見ると王都学園高等部の生徒だということが分かる。それに赤いリボンをしているということから僕と同じ新1年生のようだ。小柄で制服を着ていなかったら同級生にはとても見えない。そんな感想を抱きながら視線はつい顔から下へ行き、でも体は制服の上からでもわかるぐらいナイスバディだね、と思った。
 ……。
 って何を思っているんだ、僕は!? いいだろ、別に思うぐらい。 初対面の子に失礼だよ! だって仕方がないだろう、僕は思春期真っ只中の狼なんだぜ? 誰が狼だ! 僕ですが、何か? 僕ですが何かってなんだ! おいおい、キレんなって。あれですか、君は? 切れやすい今時の若者ですか? オマエも僕だろうが!
 そんな自分格闘劇を繰り広げていると、
「――ロー、コタロー! 聞いているのか?」
 僕は自分を呼ぶ父さんの声に意識を引っ張られて戻ってきた。果たして僕は一体どこまで戦いに赴いていたんだろう?
「ありがとう、父さん。それから、ごめん。聞いてなかった」
「それにしても本当に久しぶりだね。元気そうでよかったよ」
 その子は意識が飛んでいたことを気にせず、とても嬉しそうな笑顔で僕に言う。
 だけど久しぶりってことは以前にあったことがあるんだろうけど……会ったことあったかな?
 僕が惚けた顔をしているのを見て彼女はそれを感じ取ったようだ。
「そっか……。そうだよね、もう10年も前のことだもん。覚えてないよね」
 申し訳ないな。向こうは覚えているのに、こっちが覚えていないなんて。
 10年前か。……だめだ。そう言われてもやはり思い出せない。
「ごめんね、本当に覚えていないんだよ。えっと……」
 謝ろうとして、まだ彼女の名前を聞いていないことに気づいた。
 きっと彼女も名乗るまでもなく、僕が覚えていると思って名乗らなかったんだろう。それがさらに失礼なことをしたと感じてしまう。
「あかね。桜木あかねだよ」
「ごめんね、桜木さん」
 やはり、だめだ。思い出せない。名前を聞いても思い出せないなんて。ひどい奴だな、僕は。
「いいよ、気にしないで。でも、昔みたいにあかねちゃんって呼んで欲しいな」
 聞いたか、今の言葉を? 失礼なことをした僕になんて素敵な笑顔を見せるんだ。
 まぶしい、まぶしすぎるよ、あかねちゃん。
「うん、わかったよ。ところであかねちゃんはこんな朝早くから何しにうちに来たの?」
「それは父さんが説明しよう。桜木家の女性、つまりあかねちゃんは結婚できる年齢が近づいたら、その婚約者の相手の家で過ごすという代々のしきたりがあるのだ。そして、あかねちゃんもそのしきたりに従って我が家で暮らすことになったというわけだ」
 そう言って父さんの説明は終、わ、り……って、なんだって!
 その説明に僕の中にあった申し訳なさは一旦どこかへ追いやられ、その言葉が僕の中で暴れまわった。えーと、とりあえず。
「か、母さんのことをもう忘れたのか、このクソ親父が! まだ亡くなって一年も経ってないっていうのに! 母さんへの愛はその程度のものだったのか! 見損なったぞ、父さん! しかも再婚相手が僕と同い年だって? このロリ親父! こんな犯罪認められんぞ! さあ、あかねちゃん! 僕と逃げるんだ! こんな変態と一緒にいたら何されぐぼごふっ!」
 父さんの拳がリバーに!? だ、だめだ。気持ち悪い……。胃の中には何もないのに何かが込み上げてくる。無から有を生み出すあなたは何者だ! とか、ふざける余裕はまだあるな……、よし。
「少しは落ち着け、この馬鹿息子。父さんは生涯母さん一筋だ! あかねちゃんの結婚相手はお前だ、コタロー。気づいていて言っていただろう」
 ああっやっぱりそうか。そうだろうなとは思ったよ、うん。だけど、自分をごまかすためなんとか父さんの再婚の方に賭けてみたっていうのに。そうか、やっぱり僕か。……ん?
「いや、ちょっと待ってよ! そんなこといつ決まったの!? 僕、初耳だよ!」
 リバーへのダメージを抱えながら僕はなんとか立ち上がった。この程度で倒れている僕なんかじゃないはずだ。父さんの話によるとあかねちゃんは七名家と謳われる家柄の一つである桜木家のお嬢様で10年前に僕とあかねちゃんを許婚にするという約束を親同士でしたそうだ。しかも当時の僕とあかねちゃんに確認したところあかねちゃんも僕もOKしたとか。だから覚えていないのに……。
「そんなの反対だ! 僕にだって選ぶ権利が――」
「私じゃ……嫌かな?」
 僕の言葉を遮り、あかねちゃんは捨てられた子犬のような切なげな視線を送ってくる。
 はい反則ですよ、それ。
「いや、そうじゃなくて!」
 そんなあかねちゃんの視線に負けず、僕は抗議の言葉を続けた。
 いきなり言われて、まあ、いきなりでなくても、だ。はい、そうですかという訳にはいかない。いってたまるものか!
「なぜだ? これだけ可愛くてボインボインはいないぞ?」
 父さんはそんな抗議の声に対して、不思議そうな顔で聞いてくる。
 いやいや、待て。その顔はそっちじゃなくって、こっちがするはずの顔だって言うのに。
「ええい、黙れ、このエロ親父! ボインボインとか言うな! そういうこと言っているからエロ親父なんだ、お前は!」
「誰がエロ親父だ! じゃあ、どこに不満がある? まあ、ないだろうがな」
 あっ、鼻で笑いやがったな、くそ!
「なんで勝ち誇ってるんだよ! あるから反対してるんだろ! 勝手に決めるな!」
「私のどこがだめっていうの!」
 いつの間にかあかねちゃんは僕の横に来て涙目に訴えてくる。そして――
「いたっ、痛いって、ちょっと、いたっ、あの痛いんですが、痛いんですが! 聞いてますか? 聞いてませんね? 叩かないでよ、あかねちゃん!」
 ――ついでにグーで肩たたきのような連打をくらわしてくた。いや、本当に痛い。というか、一体この小さな体のどこにこんな力が? いや、今はそんなことどうでもいい。
「だから、どこがだめとかじゃないってば!」
「コタロー、これはお前に与えられた運命、すなわちSADAMEなんだ!」
 真剣な顔で僕にビシッと人差し指を指す父さん。今、いやさっきから僕の中で父さんに対するイメージが崩れていっている。そして、なぜローマ字に?
「何を真剣な顔で変なことを言っているんだよ! ああっもう小さい頃から築き上げてきた尊敬できる父さん像が音を立てて崩れたよ! あんなに尊敬していた父さんがこんなヤツだったとは! 返せ! なんだかわからないけど返せ!」
「それはお前が勝手に築き上げたものだ! 当社は一切責任を負いません」
「くそ、この悪徳業者め! はっ、わかったぞ、貴様偽者だな! 僕の父さんがこんなクソ親父なはずがない! どこだ、父さんをどこにやった!」
 そうだ、こいつは偽者だ! 本物はどこかにいるに違いない!
「何を言っている。父さんは父さんだ。いつもと変わらないナイスガイだ!」
 自分を親指で指しながら、胸を張る父さん。それが余計に怪しく思わせる。
「ああそうだ、父さんはナイスガイだ。でも、貴様はクソ野郎だ!」
「くっ、この分からず屋め! そもそもお前こそ本当にコタローなのか? 父さんの息子はそんなに口が悪くないぞ、この偽者め!」
 まさか、そう返してくるとはな。こんちくしょうめ!
「僕は正真正銘草薙小太郎だ! でも貴様のような偽者の息子になった覚えがない!」
「えっと、私も偽者かも?」
 再び間に入ってくるあかねちゃん。ああっもうややこしい。
「ええい、だまらしっしゃい! あかねちゃんはちょっと黙ってて!」
「だって2人だけで盛り上がっているんだもん。私もコタローくんに構ってほしくて……」
 構ってもらえず寂しそうな顔をする小さな子供のようなあかねちゃん。
 くそ、なんて顔で僕を見つめるんだ! ああもう可愛いな、こんちくしょう! だけど、今はあかねちゃんを相手にしている場合じゃない。このクソ親父をなんとかしないと!
「おっと、もうこんな時間だ。父さんは仕事に行くから、コタローはあかねちゃんと学校に行くんだぞ」
 そう言って父さんは立ち上がり、部屋を出て行こうとしている。
 だけど行かせるものか!
「待って、まだ話は終わってないよ!」
 リビングを出て行こうとする父さんの肩を掴んで引き止める。
「話の続きは帰ってきてからだ。それよりコタローたちも早くしないと遅刻するぞ」
「そうだよ、コタローくん。私たちの門出の日に遅刻なんて出来ないよ?」
 そう嬉恥ずかしそうにいうあかねちゃんは、とても可愛らしいですよ。って、違う!
「意味わかんないよ、あかねちゃん! それより話を――」
「ドロンします」
 父さんはそう言って何かを叩きつけると目の前がまぶしく光った。
「わっ、何今の? あれ、父さんがいない。くそ、逃げたな! あのクソ親父め!」
 一体いつの間にこんなことができるようになったのか不思議でならないよ。
「……仕方ない、続きは帰ってきてからにするか」
 相手がいない以上、話し合いなど出来ない。
 僕はやれやれと思いながら、済ませていない朝食をあかねちゃんととることにした。
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