『球宴の夢想』

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  第5話  



 レスターがプロテクターを付けている時、すでにマウンド上にはトワの姿があった。
 早く投げたい。
 まだ先程の三者連続奪三振のイメージが頭にしっかりと残っている。
 とても気持ちよかった。だから早く、早く投げたい。
 そんな気持ちがマウンドへ向かう足を逸らせた。
 だけど、その気持ちに体は追いついていない。気持ちだけが先行していった。
『5回表、フォルスヴァールズの攻撃。9番セカンド、リタ。背番号4』
 打席に立つリタを一瞥して、レスターのサインを待つ。
 そして決まったサインを確認して、頷く。グラブの中で握りの確認。投球フォームに入って、腕を大きく振りかぶる。足を引き、ウエイトシフトして踏み込む。リリースポイントに達して、指先からボールが離れていく。
 投げられた内角高目のストレートはストライクゾーンギリギリに最高の形で決まり、リタは反応すらできない。一連の動作に無駄はなく、最高に決まった瞬間だった。
「……違う」
 だが、投じた本人がそれを否定した。
 むしろ気持ち悪ささえ覚えた。
 今、自分の中で何かしらの異変が起きている。それがなんだか分からないでいた。
 でもだからといって投球をやめるわけにはいかない。サインを出し、ミットを構えて待つレスターがいる。自分が投げないと試合は動かない。
 トワは気持ち悪さを感じながらも、次の1球を投じた。
『っと、センター返し! ど真ん中へ入ってきたシンカーを捉えました!』
 リタのヒットに歓声が起こる。
 けれど、そんな声はトワの耳に届いていなかった。
(……なんだろう、気持ち悪い)
 吐き気があるといった問題ではない。感覚的な気持ち悪さが自分の胸中に渦巻いているのが分かる。
『1番ショート、グレイ。背番号6』
 打席には前打席で本塁打を打ったグレイが構えて立つ。
「集中」
 心の中でなく、自分の口から、耳に通して言い聞かす。余計なことに気を取られていてはいけない。先程のミスをしないようにロージンバッグを手に持ってなじませる。
 滑らなくなったのを確認してロージンバッグを元の位置へ。足場が崩れぬように均して確認。一塁でターシャの「リーリーリー」に合わせて、リタがベースから距離をとる。
 気持ちを落ち着かせるために、一塁へ牽制。
 落ち着かない。
 だからもう1度牽制。
 でも落ち着かない。気持ちが落ち着かない。
(……どうやら落ち着かないようだな)
 しかし、ずっと牽制をさせるわけにはいかない。レスターは間を置かず投げるようにサインを出した。
(中、低めに、ストレート!)
 自分の体に知らせるために力強い心の声を発する。セットポジションから気合を入れて、サイン通りのコースへ投げた。
 けれど読まれていたのか、完璧に打たれて二者連続ヒットとなるレフト前ヒットを許してしまった。
 状況はノーアウト1、2塁と悪化していく。
 そして依然と気持ち悪さは抜けない。
 だけどなんとなくその原因が分かってきていた。
 心と体に大きな差が生まれていること。今までそのことにトワは気がついていなかった。
 それは両間の差が小さかったからか。
 しかし、今は肉体の疲労が大きく反応速度が大幅に減速している。それに対して集中力は試合が進むにつれて鋭敏となっていった。気持ちは切れずに集中力が高まるばかり。
 けれど体が言うことを聞かない。その差が広がっていき、トワに気持ち悪い感覚を与えていた。
 だけど今、それに気がついている。
 それは集中力すらも切れ掛かっているということなのだろうか。
『2番キャッチャー、カレル。背番号2』
 余計なことは考えるな。
 自分自身に言い聞かして、再び気合を入れ直す。胸に手を当てて、目を閉じて深呼吸を3回。深くゆっくりと呼吸を繰り返して気持ちを落ち着かせる。
 そして1回牽制。タッキーからボールを受け取り、もう1度目を閉じて深呼吸3回。ゆっくりと目を開き、レスターを見据える。
 その眼を確認したレスターはサインを出して、ミットを前に出して構えた。
 1、2塁にいるグレイ、リタを確認。
『ノーアウト1、2塁とフォルスヴァールズこのチャンスを生かせるか! セットポジションから第1球、投げた!』
「トライ!」
 気合を入れ直して投じた内角高目のシンカーは見送られてミットに良い音を鳴らして収まった。
 けど、気持ち悪さが抜けない。動作ひとつひとつの違和感が気になって仕方がない。
『トワ、第2球投げました。直球、アウトコース、打った! 打球は三遊間! っと、織田が横に飛ぶ! 強烈な打球は織田のグラブへ! 織田、素早く立ち上がって3塁ベースを踏み、ワンナウト! そしてすぐさま一塁へ!』
「セ、セーフ! セーフ!」
『塁審の加奈ちゃんがセーフをコール! カレルなんとかゲッツーを逃れました!』
『しかし、今の織田はすごいですな! 完全に抜けたと思ったが、いやはやなんとも』
 ボールを受け取って額に光る汗を拭い、帽子を被り直して前を見据える。そこには燃えさかる双眸をトワに据えるセレスの凛々しき立ち姿があった。
『クリーンナップ一角のセレス。このチャンスをその一振りで決めることが出来るのか? 注目の対決です!』
 マウンドの上と変わることなく放たれるセレスの存在感。
 それは年端もいかぬ少女が果たして放てるものだろうか。一体、その眼は何を映し、彼女の心に何を刻ませてきたのだろう。
 そのことが頭の中を離れない。自身を損なわせる疲労が、途切れかかっている気持ちが、トワに余計なことを考えさせる。集中しなくては、自分がなんとかしなくては、そんな焦りが余計に強くなっていく。
 そしてその焦りは事態を好転させることはなく、より悪化させた。
「ボール! フォアボール!」
 決してセレスから逃げたわけではない。強い存在感を感じながらも、トワは負けじと果敢に攻めた。
 けれど腕が振れない。そのため制球が甘くなり、四球を招いた。
 そして、ワンナウト満塁。この場面で最も対峙したくないバッターがコールされることとなる。
『4番サード、ルークス。背番号5』
 果たしてそのコールを耳に出来た者がいるだろうか。
 2打席目の三振で彼の評価が下がることはない。三振すらも魅せる彼に送られるのは期待する拍手喝采。その期待の雨が彼により一層の力を与え、双眸が鋭く光る。
 そして周囲に纏う研ぎ澄まされた存在感が凶暴なまでにトワへ襲い掛かった。
 ――打たれる。
 ルークスの威圧感に恐怖すら覚えたトワの脳裏を支配するのは、そのことのみ。
 一体、今の自分に何が出来るのか分らない。球威も落ちてきて、自慢の制球すら甘くなっている。ここで終わってしまうのだろうか。
 そんな気持ちがだんだん膨らんでいく。
 そして、その気持ちで心が押しつぶされそうになった時、トワを呼ぶ声が俯いていた顔を上げさせてくれた。
 顔を上げた先。そこにはタイムを取り、マウンドへやってきたレスターの姿があった。
「満塁ホームランを打たれたイメージは出来たかい?」
「!?」
 図星を突かれて、その通りだと表情で答えてしまった。
「やっぱり、か。怖い、打たれる、投げられない。そんな顔をしているよ、今のトワは。そんな気持ちで投げた球で彼を抑えることは不可能だ」
「……うん」
「それから投げる球に気持ちが乗ってきていない。他の事に気を持っていきすぎだ。集中力が切れかかっている。そんな状態で彼を、いや、誰も抑えられないよ」
「……」
「いいかい、トワ? 勝負に絶対なんてないんだ。どんなに優秀な投手でも打たれる時は打たれる。それでも彼らは勇気を持ってその1球を投じるんだ。自分を信じて、仲間を信じて」
「……」
「余計なことは考えなくていい。僕だけを見て投げるんだ。その一球にありったけの気持ちを込めて。大丈夫、君は1人じゃないんだ。周りが君を助けてくれる」
 下げていた視線を上げ、真直ぐに見つめるレスターの視線と自分の視線が交わる。その視線から感じる強い気持ちを受けて、
「……。うん!」
 自分の中に再度、強く持った気持ちを声にして返した。
「よし、良い返事だ。とにかくまず一球。僕のミットだけに集中するんだ。それからセットではなく、ワインドアップで。いいかい?」
「わかった」
 その眼を見て大丈夫だと感じたレスターは踵を返して戻っていく。
 その離れていく背中を見て、トワは感謝の気持ちと共に見送ってからロージンバッグを手に取る。
 拾い上げて向いた視線の先は3塁。そこに立つ織田へ向け、視線を飛ばして『さっきはありがとう』のジェスチャー。返しに『気にするな。それよりも次、集中だ』の視線を受け取る。
 それから外野へ振り返り、「ワンナウト!」と声を飛ばす。返ってくるのは気合に満ちた声。
 その声に勇気を分けてもらって見据えた先。そこには、相変わらずの威圧感を放つルークスがいる。
 感じる怖さに変わりはない。打たれてしまう、大量点が入ってしまうという怖さは変わらずにあった。
 けれど、先程までとは違うものがある。
 それは投げる勇気。審判の「プレイ!」と共にトワの中でスイッチを入れる。目に映るのは構えられたレスターのミットのみ。
 一球入魂。ありったけの想いを込めて。
『ワンナウト満塁。トワ、大きく振りかぶって第一球、投げた! ど真ん中へ高速スライダー!』
 ルークスから逃げるようにど真ん中へ入っていく白球はバットと反発して、空へ。
『打った! が、これはどうだろうか! 落下地点は判断の難しい二遊中間位置! そこへセンター東條が全力で走っていく!』
 それは本当に判断の難しい位置だった。この場面がツーアウトならば、ランナーは気にせずに走っただろう。
 しかし、今はワンナウト。そのため、各ランナーはベースライン中間位置に留まることとなった。彼らのこれからの行動は東條の結果次第で変わってくる。
 そして、その鍵となる東條のグラブにボールが収まった。
 が、それはワンバンウンドした後。
『落ちた! 東條間に合わず! 各ランナー、スタート! グレイ、ホームインにより1点追加!』
「っあ!」
 だが東條は諦めずにセカンドへ送球。
『アウト! 最後まで諦めずにいた東條の送球により、ファーストランナーを2塁で刺しました!』
「っし!」
 そのガッツポーズはマウンドで頑張るトワを助けたいという気持ちがさせた。間に合わなかったことを悔やみはしない。東條ヒカルにとって、全力での行動がコレなのだから。それが解る仲間たちは「ナイスプレー!」と声を掛ける。
 もちろん、その中にトワの声もあった。
 点が取られたことは悔しい。
 だけど、気持ちを入れ直した球威でなければ、センター頭上、あるいはスタンドへ入っていたかもしれない。東條と同じように今出せる全力がコレなのだ。
 そして何より一塁上からトワへと向けられる視線がトワの気持ちを落とさせなかった。トワに強く向けられる双眸は勝者のモノではない。その顔に滲むのは悔しさ。スイングに入った時、ルークスは完璧に捉えたと確信する。
 しかし、その球はルークスの予想軌道を超えてさらに変化をして芯を外れていったのだった。他の者からすれば、それでも外野まで運んだのはさすがといえるだろう。その答えが同点に追いついて沸く、フォルスヴァールズ側の歓声としてグラウンドに届く。
 ただし、肝心のルークスの耳には届いていないようだが。


『っと、これはファーストゴロ。セラ、ツーエンドスリーからの第6球目――ストレートにタイミング合わず! 1、3塁残してスリーアウトチェンジです!』
 セラを残り一杯の力で抑えたトワは小さくガッツポーズしてマウンドを降りた。
 そのふらついて危なっかしげな後姿を静かに見つめていた男は――
『5回裏、王都学園の攻撃。5番ファースト、タッキー。背番号3』
 ――眼光鋭くバッターボックスに立った。
「トワ、汗がすごいんだ。早くアンダーシャツを替えたほうがいい」
 ベンチに座って試合の行方を見守るトワにレスターはプロテクターを外しながら、声をかけた。
「この打席を見てから、ね。タッキーが打席に向かう時に言ったの。オレ様が突き放してやるから安心してマウンドを降りるがいいって」
 笑顔で言うトワからバッターボックスへ視線を移したそこには、いつになく真剣な顔をしたタッキーがいた。
「……」
 守備の時、マウンドで投げるトワの顔がタッキーには見えていた。真剣で、一生懸命なその顔に後ろを守る者としてしっかり応えようと構え続けた。
 だけど時折、その顔が不安や恐怖でやられているように歪むのが垣間見れた。怖かったに違いない。対面せずとも感じた威圧感をトワは真正面から受けているのだから。
 しかし、彼女はそれに立ち向かい、投げ続けた。あの小さな体で、ふらつきながらも頑張って、頑張って。
(そのような姿を見せられて、オレ様が燃えぬはずがなかろう!)
 グリップを強く持ち直して前足を背中側にずらし、体を開いたオープンスタンスのフォームで構えて双眸はマウンド上のセレスを捉えて放さない。
 この時、タッキーはすでに打つ球種を絞っていた。
 それは――
『は、入ったぁ! まさかの初球本塁打!』
 ――SFF。第一打席で打ち損じた球種だ。
『タッキー、右手人差し指を天高く突き上げる! そのパフォーマンスに応援席から歓声と所々から笑い声が!』
「なぜ!?」
「だって顔作りすぎなんだもん」
 ベンチに戻ってきたタッキーにトワはクスクス笑って答えた。
「タッキー」
「ん?」
「ありがとう」
「――うむ」
 そしてタッキーに次いで東条もトワの姿へ応えるようにセレスの甘く入った一球を見逃さない一振りを見せてシングルヒットを放つ。続く青葉は東条の頑張りを無駄にしないようにきっちりとバントを決めて、場面をワンナウト2塁としてスコアリングポジションに東条を置いた。だが、これ以上の追撃を許さないと組み立てられた配球は、あかねをセカンドゴロとした。
 そして――。
『9番ピッチャー、トワ。背番号1』
 マスクの下からカレルはバッターボックスに立つトワの様子を観察する。マウンドを降りた時からまだ幾分も時間が経っていないことからもわかるように、その疲労は隠れることなく形に表れていた。
 だがカレルは油断することなくトワを攻略のために配球を組み立てていき、見事ファーストゴロに打ち取って王都学園に追加点を許すことはなかった。
『6対5で前半戦を終え、王都学園1点リードで折り返しました! 王都がこのまま逃げ切るのか、フォルスヴァールズが逆転するのか! 後半戦に注目です!』
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