『球宴の夢想』

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  第9話  

 グレイはバッターボックスへ向かって歩いていく。
 その様子は今までと変わらず、のんびりと。けれど抱く想いは一段と強く心に持って。
「さぁて、これで俺の打席も最後かもな。お手柔らかに頼むぜ、坊主」
 今までと変わらず、気さくに話しかけるグレイだったがレスターからの返答はない。
 ただグレイは視線を、横目で観察するレスターの視線を受けるのみだった。
「やれやれ、釣れないヤツだな。まぁ、いい。こっちで勝手に楽しむさ」
 グレイは軽く言葉を返して口を閉じ、視線を織田へ向ける。
 そして、ゆらりとバットを構えてリズムを取り始めた。
 横目で聞いていたレスターは、その言葉や立ち姿に思考を巡らせた後に織田へサインを送ってミットを構えた。
 頷き答えた織田はサイン通りの豪速球でミットを鳴らす。
 グレイはその間で邪魔するバットを振ることもなく、リズムを取り続けて視線は常にボールを追っていた。
 それはツーエンドワンと追い込まれても変わらない。
 最初と変わらぬリズムを取り続けるグレイを一瞥したレスターは正面を見据え、サインを出してミットを構える。
 そして構えた場所から外にボール二つ分逸れた場所へ飛来する弾丸はミットに収まらず、審判はファールを告げた。
(……やはり、ここで振ってきたか)
「おいおい、そんな目を向けんなって。最後ぐらいおっさんの楽しみに付き合ってくれよ」
 レスターは笑って返すグレイにそのつもりはないと態度で示すように無言で前を見据える。
 しかし、そのタイミングでグレイは打席を外れ、レスターのリズムに合わせない。
 バットを振り、先程まで体に刻んだリズムを確認。そして何とは無しにベンチへ視線を送った。
(いい顔してんな、どいつもこいつも)
 ベンチにいる誰もが顔を下げず、真っ直ぐにグレイへ声援を送っていた。
 その声援は変わらず、否、今まで以上の熱気を帯びていることが感じ取れる。
(まぁ、なんだ。何にしろ負け戦の後で飲む酒は不味くてとても飲めたモンじゃねぇ。酔うなら勝利の美酒といこうじゃねえか)
 バッターボックスに戻って再びバットを構えるグレイにレスターは視線を送る。
 カウントは変わらずツーエンドワン。そしてノーアウトランナーなしの場面。
 この状況にレスターは、グレイの様子を踏まえて一つ目のアウトを取る為に頭を働かせていく。
 その結果出されたサインに織田は頷き、投球モーションに入った。
「ファール!」
 だが、そのボールもレスターのミットを揺らすことなく、グレイに阻まれてファールゾーンへと運ばれる。
 それはその次もその次も続き、ボールを挿んだその次もファールのコールがされる。
『またしてもファール! グレイ、粘りをみせます。この粘りは甘い球を待っているのか、それとも四球での出塁を狙っているのか? 果たして――』
 その直後、セレナの発言に答えるかのような打撃音が会場に響く。
 グレイは外から内へ甘く入ってきた外角低目の球を逆らわずに流し打ち、打球はレフト正面へ。
 その出塁打に、逆転への第一歩に歓声が沸く。
 そして、その歓声は続く打者への声援に形を変えていった。
『2番キャッチャー、カレル。背番号2』
 コールを受けたカレルは一礼してから足をバッターボックスに踏み入れてバットを軽く振り、グラウンドへ目をやる。
 そしてカレルはバントの構えを取り、それを見てレスターは眉を顰めた。
 レスターはカレルの顔を一瞥し、真っ直ぐに織田を見据えるカレルの前打席を振り返る。
 前打席。レスターは内野陣に深めの守備を指示した。
 それまでノーヒットのカレルだったが強打者であることには変わらないと判断したからだ。
 対してカレルは、その虚を突くように初球からバントの構えを取った。
 それを見た内野陣はすぐさまセーフティバントを狙っていると判断して、バント処理に動く。それこそが狙いであるとも知らずに。
 左打者のカレルがセーフティバントを決めるのなら三塁線を狙うと判断した織田は三塁側へと走る。
 カレルはそれを確認した上で織田とタッキーの間に出来た広い空間へ転がし、藤堂に処理させるトライアングルバントを決めてきた。
(前打席と同じ事を狙っているのか? いや、それなら先程と同様に通常のバッティングフォームでいいはず。その構えだと、こっちが一度やられて警戒するのは分かっているはずだ。では、ただの送りバント? この場面で? まずは足がかりにする一点を取る為だとしても代価にしては高すぎる。そんなことを本気で狙っているとは思えない)
 レスターは暫く思案した後に探りを入れる為、盗塁を防ぐ意味も込めてウエストボールを要求した。
 織田は要求通りに投げ、それをボール球と見極めたカレルはバットを引く。捕球したレスターはすぐさまカレルを、周囲の動きを観察する。
 その視線を肌に感じながら、カレルはバットを軽く振って再びバント姿勢で前を見据えた。
 視界に映った織田はレスターからボールを受け取ってセットポジションに構え、野手陣の立ち位置はバントシフトとなっている。
 事はカレルの予定通りに進んでいき、カレルはリードをとって構えるグレイにそっと目配せを。
 それに鍔を触って応えたグレイは、マウンドに立つ織田を注視する。
 そして。
『織田。第二球をセットポジションから――』
 グレイは絶妙のタイミングでスタートを切った。
 その姿を視界の端に捉えたレスターの正面からは、既に織田の手を離れたボールが凶弾と化して外角低目を目指して飛来する。
 その凶弾を打ち返す為、カレルはバットを引いて迎え撃つ。強引に引っ張るのではなく、流れに逆らわず左へ。
『っと、ここでバントをやめてバスター! 打球は鋭く、三塁方向へ!』
 返された打球はグラウンドを跳ねながら球足速く駆けていく。
 バント処理の為に前進したトワは脇を通り抜けていこうとする打球を捕らえようとグラブを伸ばす。
 だが疲労からか、いつものように体が動かない。グラブを伸ばした時には既に打球は通り過ぎた後だった。
 抜けたことを認識したトワは、すぐさま打球の行方を追うために振り返った先。
 目にした光景に、その顔は驚愕に染まる。
 レフトに抜けたと思った打球は飛ぶように走り込んできたコタローのグラブに収まっていた。
『コタロー、ファインプレー! 振り向き様にセカンドへ送球! 6、4、3! ダブル――っと、セーフ! カレル、俊足を生かしてダブルプレーを防ぎました!』 
 全力で駆け抜けたカレルは一塁へ戻り、一塁側コーチボックスに立つターシャに状況を確認する。
 ターシャは今起きた一連の流れを興奮した面持ちで身振り手振りを交えてカレルへ説明した。
「なるほど。ありがとう、ターシャさん」
 説明を聞き終えたカレルはターシャに礼を述べ、一塁ベースから少しリードをとる。
 次の打者セレスのコールを耳に、そしてバッターボックスに向かうセレスを見ながら今の打席を振り返った。
(まさか、あそこでコタローが捕るとはな。見事としか言い様がない)
 カレルの狙いは三塁を守るトワを抜くことだった。
 マウンドに立つ織田の投球内容は八回まで打者13人に対して球数52、被安打2、奪三振7、与四球3、失点1、併殺1だ。
 これまでの投球を見れば、打ち崩すことが容易ではないことが解る。
 そこでカレルが狙いをつけたのはトワだった。
 トワの本職はピッチャーであり、サードのポジションに不慣れだ。
 さらにマウンドを降りたとはいえ、守備に出ている以上、いつ打球が飛んでくるか解らない為、集中を切らすことは出来ない。
 その状態にいる為、体力を大きく回復できずに動きが鈍くなっていることは観察して把握していた。
 そして場面はノーアウトランナー一塁でカレルの構えはバント。カレルの足も考えて王都学園側はバントシフトを敷く。
 織田が投球モーションに入ったら、トワはバント処理のために前進してくる。
 今のトワなら多少当たりが悪くても抜くことは然程難しくなく、状況は一、ニ塁となってチャンスは広がる、とカレルは考えて実行に移す。
 しかし結果はゲッツー崩れと予定通りには事が運ばずに終わり、ワンアウト一塁となった。
(ターシャさんの話だとコタローは滝沢とトワの前進に併せてセカンドへ向かったが、バスターと感付いて引き返したと言っていたな。それで間に合うとは驚異的な身体能力だ)
 カレルは自分の目論見を見事に打ち砕いたコタローへ素直に感嘆を抱き、コタローも同様の胸中でいた。
(さっきのは危なかった。あんなギリギリまでバントの構えをしていたのにバスターだなんて。僕は何とか捕ったけど、藤堂先輩やタッキーがベースに入るのが遅れたし。それもカレルさん程足が速くなかったら、アウトのレベルだけど。ああ、でもそれ以前にカレルさんの技量がなかったら、あんなバッティングは出来ないか)
 互いに感嘆を抱きながら、その視線も同じくホームへ向いていた。
 バッターボックスにはセレスが立っており、その様相は並々ならぬ覇気を纏っている。
(九回表ワンアウト一塁で三点差。逆転する為にも絶対に打つ……!)
 そこに諦め等一切なく、必ず追いつき追い越そうという強い意志が観察するレスター、対峙する織田まで伝わる。
 けれど体の力みは感じられない。あくまで自然体で構えている。
 そんなセレスを横目にレスターはこれまでの打席情報等を参考にして今回の配球を組み立てていく。
 しかし、その組み立ては初球で崩されることになる。
『打球は右中間! それをライト青葉が拾って中継に入ったセカンド藤堂へ渡るが、間に合わない! そして打ったセレスは二塁へ!』
 まさに一瞬。セレスの一振りがチャンスを導き、場面はワンアウト二、三塁。
 その出来事が、二塁に立つセレスの姿がフォルスヴァールズを応援する者の心に消えかけた希望を再び灯した。
 それが声に乗って今、次に名を呼ばれる打者の背中を押す。声援は一段と大きく、再びコールを掻き消すほどに。
『4番サード、ルークス。背番号5』
 ルークスに送られた皆の期待は会場を包む大声援からも解る。
 それに押し潰された様子を一切見せず、ルークスは気迫に満ちた面持ちで打席へ向かう。
「しゃっす!」
 その昂りを抑えることも隠すこともせず、一礼して打席へ入り、対峙する織田と視線を交える。
 織田が放つ威圧感を受け、けれど屈せずに視線をぶつけてバットを構える。その身から織田に負けない威圧感を放って。
『ワンナウト二、三塁の場面で打席には三打点を上げているルークス。このチャンスをモノに出来るでしょうか。そのルークスに対して織田、初球――』
「ストライッ!」
『――ストライク。織田、まずはストレートでストライクを取りました。球速は160km/h。肌で感じ、表示で見たその速さに歓声が起こります』
『ふむ、やりおるな。スコアリングポジションにランナーを置いてからの織田はボールから伝わる気迫がまた一段と増すのう』
 ロウワードが解説するそれをルークスは目の当たりにして、より強く感じていた。
 それが尚更ルークスに火をつける。澄ました顔でピッチングを続ける織田の双眸に宿る強い想いを感じ取って。
『それは対峙するルークスも同じじゃ。最高に盛り上がる場面じゃろうて。目の輝きが違うのう』
 ルークスが織田から感じたように、織田もまたルークスの気迫を肌に感じる。
 それは察する必要がない程解り易く前面に出ていた。その気迫に負けない意思をボールに込め、織田はレスター目掛けて力一杯投げる。
『2球目は低めに外れてボール。王都バッテリー、パスボールを恐れずにフォークを投げてきましたね』
『今までのリードを見ていれば、ここでああいう球を投げてくる可能性は十分にあったからのう。フォルスヴァールズ側がその点ばかりにひっかかることもなかろうて。じゃが選択肢が広いことには変わらぬ。ルークスはここをどう打ち破るか、対する王都バッテリーはどう切り抜けるか見物じゃのう』
 声援がルークスの耳に届く。勝利を願い、その想いを託す声には力が宿っている。
 それをしっかりと受け取ったことを表すように豪快なスイングが鋭い打球を生み出す。
『ファ、ファール! 迫力のあるスイングが生み出した打球は鋭い当たりを見せますが、ファールゾーンへ。これでツーストライクワンボール、ルークス追い込まれました!』
 そのスイングを見ても織田に動じた様子は見られない。
 応えるように内なる闘志を燃やし、けれどそれを表面に出さず、ボールにだけ注ぎ込む。まさに一球入魂。
『4球目、ボール! ストライクのようにも見える際どいボールでしたが、ルークスこれを見送りました!』
『ここに来て、あのボールを見送れるとはのう。大したものじゃ』 
 届く声援が両者に力を与え、互いが負けぬように自身の想いをバットに、ボールに込めて高まっていく。
 織田の唸る豪速球に、ルークスの豪快なスイング。
 両者の戦いを受けて会場はさらに盛り上がりを見せ、それがまた二人を高めるという相乗効果が止まらない。
 それでも勝者は一人。どちらかが敗北する。
 その決着はルークスがバットを振った瞬間、誰もが理解した。
 結果を迎えた会場は、
『バックスクリーン直撃の同点弾! ルークス、織田が投じた162km/hのストレートを打ちました!』
 割れんばかりの声に包まれた。
 その中、ルークスはバックスクリーンを見つめ、しばし余韻に浸ってからダイヤモンドを回り始める。
 走りながら両手に視線を落とし、そこに残る感触をかみしめた。
 そして耳へ届く歓声に、自分へ力を与えてくれた応援席に向かって拳を突き上げる。
 そのパフォーマンスに答える観客総立ちの拍手喝采を浴びながらルークスは出迎えた仲間達とハイタッチを交わしてベンチの中に入っていった。
『ロウワードさん。このまま終わってしまうのではないかという雰囲気が漂っていましたが、ここであの一発が出るというのはさすがですね』
『そうじゃのう。4番としての、この場面での役割を完璧に果たした見事な一発じゃった』
 そんな放送席でのやりとりが行われている間も試合は進み、打席にはセラが立っていた。
 そのセラに向けられた声援は力強く、流れが来たと信じている気持ちがそこに垣間見える。
 けれど、果たして予想できただろうか。
『左、左方向へ伸びる! ボールは大きな弧を描き、入れと言う応援席の声に押されながら――』
 それが確かなモノとして間も無く目の当たりにすることになると。
 そう、ホームランという最高の形で。
『――今、スタンドへ! 二者連続! セラ、値千金の逆転ホームラン!』
 入ったことを確認した応援席の歓声は自身の声が認識できないほど溢れていた。
 応援している人達がこの時をどれほど待ちわびていたのかがその様子から伝わってくる。
 また、その迎える流れが劇的であれば尚のことだろう。その決定打を放ったセラに向けられた歓声も並ではない。
 そんな歓声を浴びながらもセラは表情を変えずに淡々とダイヤモンドを回っていった。
 その表情は戻ったベンチで仲間からもみくちゃにされても変わらず。
『それにしても、あっという間の出来事でしたね。ルークスが同点弾を打ってから逆転まで2分も経っていません』
『ですな。ここにきて、この猛攻。なんともあっぱれじゃ。感嘆の言葉しか出ん』
 試合会場にいる多くの人はフォルスヴァールズの勢いを強く感じ、試合の流れは完全に傾いたと思っている。
 それを否定するように王都バッテリーはこれ以上の失点を許さない。
 更に追加点を得ようとするフォルスヴァールズだったが、後続のニナとエドは打ち取られ、9回表が終わった。
『フォルスヴァールズは最後の攻撃で4得点。3点差を引っくり返して逆転する猛攻を見せましたね』
『最後まで諦めぬ姿勢をそこに見ましたな』
『そうですね。さぁ、この勢いのままフォルスヴァールズが勝利を手にするのか! はたまた王都学園が逆転するのか! いよいよ9回裏、最後の攻防が始まります!』


「トライ、バッターアウッ!」
『四者連続奪三振! 未だ衰える様子を見せない豪腕が三振の山を気づいていく!』
 9回裏。先頭打者のあかねは粘ったバッティングを見せるも三振に終わる。
 それをベンチから見ていたマクレガーは主君の投球に感嘆の声を上げた。
 そして、そんな主君の背中を押すように大きな声援を同じくベンチにいるトマスやクーノ達と共に送る。
 その声援に、観客席からの声援に応えるようにセレスはカレルが構えるミット目掛けて力一杯投げた。
『そして奪三振ショーはまだ続く! 続くトワも三振で五者連続奪三振、このまま試合を決めてしまうのか!?』
 審判のコールを聞き、フォルスヴァールズ観客席の歓声が増していく。
 これでツーアウトランナーなし。あと一つで試合はフォルスヴァールズの勝利で幕を下ろす。
 誰も言葉に出さずとも、その雰囲気が会場を包んでいた。
『1番ショート、コタロー。背番号6』
 コタローが打席へ向かう間に、セレスは額の汗を拭いて深呼吸。
 あと一つ、と胸中で呟き、前を見据えた。
 試合開始から耳へ届く声援が集中を邪魔しないようにすっと胸の中へ入ってくる。
 それが心地良い高揚感を生んで、投球に躍動感を与えてくれていた。
「ットライ!」
 疲労が無いわけではない。打たれて悔しく、また苦しくないわけでもない。
 肉体的も精神的にも疲れは相当なモノになっている。
「ボォッ!」
 だけど、セレスは止まらない。まだ腕は振れて、ボールを握る力も残っている。
 挫けそうになる気持ちは声援が助けてくれる。
 打たれ、失点してしまう恐怖は支えてくれる仲間がそれを上回る安心感を与えてくれた。
 だから今も変わらず、渾身の一球を投げることが出来る。
「ストライッ!」
 あとワンストライク。フォルスヴァールズを応援する者の胸中は、皆同じくその先に待つ勝利の瞬間を思い描いていた。
 それはセレスも、彼女の背中を守るチームメイト達も同じだ。
 カレルは、その瞬間を手にするためのサインを出した。セレスは、その瞬間を手にするためのサインを受け取った。
 そして、皆が思い描いたその瞬間を手に入れる為に、セレスは渾身のストレートを投げた。

「うん、良い当たりだ」

 けれど、彼らが思い描いた瞬間は、コタローによって打ち砕かれた。
 皆が見つめる彼の打球は、美しい放物線を描きながらスタンドの中に吸い込まれていく。
『ど、同点ホームラン! コタロー、セレスの投じた外角低目を貫く153km/hのストレートをライトスタンドへ!』
『まかさここで、あれほどの美しい右打ちをみせるとはのう……。続く言葉が出ぬ』
 そんな感嘆の声をあげるロウワードの横でゆかりが机をバンバン叩きながらコタローの名と褒め言葉を連呼していた。
 そして王都学園応援席もコタローに向けた観客総立ちのスタンディングオベーションが起こっている。
 その中をコタローは照れながらダイヤモンドを回り、ネクストバッターズボックスに立つ藤堂とハイタッチを交わしてからベンチへ。
「コタローくん!」
 と、同時にあかねがコタローの胸に飛び込み、力強い抱擁をした。
 そしてコタローの名を連呼しながら、その胸の中で顔を擦り付けるように左右へすりすりする。
 照れるコタローは止めるように言って離そうとするが、なかなか離れない。
『また私のコタローにぃいいいい!』
 その様子を実況席から見ていたゆかりはすぐさま部屋を出て行ったが、スタッフに渡された大量のお菓子を抱えてすぐに戻ってきた。
『これ、おいしいわね。イヴさんもいかが?』
『まぁ。ありがとう、ゆかりちゃん』
 何やら二人によって微笑ましい雰囲気が出来上がっている。
 けれど、そんなやり取りとは無縁のように、フォルヴァールズの面々は呆然としていた。
 応援席だけではない。グラウンドにいる面々もだ。
 あとワンナウト。あとワンストライクで試合は終了し、勝利は彼らのモノとなっていた。
 手を伸ばせば届くほどの距離まで来ていた、それなのに。
『打球はレフト線を破り、深い位置へ! それをニナが追う間に打った藤堂は一塁を蹴って二塁に! 王都学園、サヨナラのランナーを出しました!』
 けれど、そんな彼等を試合は待ってくれない。
 気持ちの整理をする間も無く、続く藤堂に二塁打を許し、得点圏に走者を一人置くこととなった。
 そして迎えるのは、王都学園最強打者――レスター・シンクレア。
 響き渡る声援が、彼にどれ程の期待を寄せているのかを否応無く伝えてくる。
「すまない、セレス」
 タイムを取ってマウンドへ来たカレルは、開口一番に謝罪の言葉を述べた。
「今のは俺の責任だ。コタローの一打に動揺したまま、不用意な球を要求してしまった」
「そう。でも私はあれで構わないと思ったから投げたのよ。危ないと思ったら首を振るわ。けど、そのように思っているなら、解っているわよね?」
「ああ、気持ちの切り替えはここへ向かうまでに済ませた。もう大丈夫だ」
「それは良かったわ。なら、締まっていきましょう。あと一人よ」
「ああ。あと一人だ。締まっていこう」
 まっすぐ瞳を交え、お互いに頷き、カレルは踵を返して戻っていき、その背中をセレスは見送った。
 そして目を瞑って深呼吸を一つ。誰にも感じさせず、内へ秘めていた動揺をしっかりと全て吐き出すように。
 彼女も動揺を内に抱えていた。けれど、彼女はそれを誰にも見せない。見せてはいけない。
 少なくともこの場において。彼女は、そういう立場にいるのだから。揺るがず、しっかりとした足取りで、皆を導く、そのような場所に。
 それをカレルは解っている。察して、言葉には出さずとも彼女が望む道へ進む方法を示すのが彼の役目だ。
 考えずとも九回裏で試合が終わる以上、フォルスヴァールズの勝ちは消えた。
 粘りに粘り、皆が繋いで手にした逆転。そこから一気に高まった勝利への期待は、コタローによって一刀両断された。
 あと一人。あとワンストライク。そこまで辿り着いたところで、見事なまでにばっさりと。
 皆の期待を根こそぎ奪い、茫然自失にさせる完璧な一打だった。
 そして続く藤堂に二塁打を許し、迎えた打者はレスター・シンクレア。会場を包んでいた雰囲気は一転して、王都学園のモノになった。
 それがフォルスヴァールズを応援する者達に嫌な予感を与えている。このまま、負けてしまうのではないかという嫌な予感を。
 セレスは、それを拭おうとしている。勝ちが無くなったからといって負けていいはずがない、と。
 応援してくれた者達が望んだ最高の形は贈れなくなった。だからといって、放り出していいわけがない。それこそ最低の返し方だ。
 だからこそ、絶対に打たれてはいけない。
 セレスはそれを誰よりも強く胸に持って、立ち向かおうとしている。
「……よし。いこう、セレス」
 そしてカレルは、その想いの向かう先へ辿りつく為の第一手を示した。
「ええ。始めましょう、カレル」
 互いが口にした言葉は届かない。それでも意思疎通は十分。カレルが出したサインを受け入れ、セレスは第一球を投じた。
 内角高目にまっすぐ。レスターの目の前へ、まだ球威は衰えていないと示すように。
『ボォッ! 初球はボールと外してきました。さて、ロウワードさん。ランナーを二塁において、一打サヨナラの場面ですね。どう見ますか?』
『コタローの一打を引きずって気が腐っていればおしまいじゃろうな。だがまぁ、あのバッテリーのこと、それはないと思うがしかし。バッターがレスターじゃからのう。厳しい状況なのは変わらんな』
『では、レスターを敬遠して今日当たっていない織田と勝負という可能性はどうでしょうか?』
『あれだけでは、なんとも言えんのぅ』
『そうですか、ありがとうございました。さぁ、セレス。レスターに対して第二球、っと、これは――』
 内角低目へ落ちて入ってきたSFFを、レスターの繰り出した鋭いスイングが打球を弾丸にしてスタンドへ運ぶ。
 けれど、ファールポールの外。つまり、ファールテリトリーへ。会場に安堵と落胆の息が漏れる。
 カレル、セレスも冷や汗を覚えたが、集中力は途切れない。次の一球、外角低目に投じたストレートでストライクカウントを稼ぐ。
『さぁ、これでツーエンドワン! バッターを追い込んだフォルスヴァールズバッテリー。次で決めるか、レスターに対して第四球――ボール! 内角のストレートを見送られ、ツーエンドツーとしました』
 そして第五球。外角高目に投じた高速スライダーも見送られ、カウントはツーエンドスリー、フルカウントになった。
 けれど、フォルスヴァールズバッテリーに焦りは無い。二球目の打球に冷や汗を覚えたが、それでもフルカウントを使う予定でいた。
 後は仕上げの一球。これで、試合が決まる。決めてみせる。
 だから、声援で震え上がる気持ちを、これまでの想いを、全て込めるように、渾身の力を振り絞った一球を、セレスは投げた。
 指から離れたそれは、セレスの、そんな想いを全て受け取って、カレルへ伝えるべく、真ん中高目に構えて待つカレルのミット目掛けて空間を駆ける。
 それをレスターは、自身を応援する者達に応えるべく、鋭いスイングを繰り出して迎え撃つ。
 そのバットにボールが当たった音が会場中に響き、打球の行方を会場にいる誰もが目で追っていく。
 ボールは、高く、高く、空を舞い、そして――。
「アウト!」
 セレスの想いを乗せたそのボールは、カレルのミットに辿り着いた。
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